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ハミルトン、バトン、ベッテル……。
セナの療法士と王者たちが語るセナ。
text by
尾張正博Masahiro Owari
photograph byAFLO
posted2014/05/05 10:40
サンパウロ郊外にあるモルンビーの丘の墓地でセナは安らかに眠る。
アロンソ、バトン、ライコネン、ベッテルらが……。
「当時スペインでは、F1の人気は限られていたから、私が住んでいた地域ではレースは生中継されていなかったけど、アイルトンの死亡を知らせるニュースはどのテレビ局でも連日、報道されていたのを覚えている。
もちろん、ショックだったよ。だって、当時、私のノートに飾っていたのは女性アイドルなんかの写真ではなく、アイルトンの写真だったくらい好きだったからね。部屋にはアイルトンの大きなポスターも貼っていたし、最初に乗ったゴーカートも、アイルトンがドライブしていたマクラーレンカラーに塗ったほどだった。
アイルトンが亡くなったことは、本当に残念で悲しいけど、だからこそ、その事実を忘れてはならない。イモラで行なわれるイベントに出席するのも、そのためだ」(フェルナンド・アロンソ)
「当時、私は14歳で、サンマリノGPが開催されていたイモラと同じイタリアでカートのレースをしていたから、事故の衝撃はかなりダイレクトに感じていたと思う。セナ大事故のニュースがカート会場に入ると、主催者はイベントを中止したほどだったからね。
でも時にこういう悲劇がモータースポーツを良い方向に変えることがある。その後、F1の安全面が大きく改善することになったのも、アイルトンの事故が大きな影響を及ぼしていたんだからね」(ジェンソン・バトン)
「セナの死はF1界において、とても悲しい出来事だった。当時、私はまだ学校に通っていて子どもだったから、レーサーとしての彼のことはあまり覚えていない。それでもあの日のことは記憶にしっかり残っている。彼は偉大なドライバーであり、その後のドライバーたちが目指すべき目標として、いまも私たちの心の中で生きている」(キミ・ライコネン)
「僕は1987年生まれだから、アイルトンのF1時代の最初のころは知らないんだ。僕が覚えている最初の記憶は、'91年のブラジルGPで母国グランプリ初勝利を挙げたときのこと。ギアボックスにトラブルを抱えて6速だけで、走り切ったんだから。2011年のブラジルGPでは僕のマシンもギアボックスに問題が起きたけど、そのことを思い出しながらなんとか走り切ったよ。残念ながら僕は彼と知り合うことはできなかったけど、彼が遺した素晴らしいレースの数々は、いまも僕の大切な宝物となっている」(セバスチャン・ベッテル)
セナについて語ってくれたF1関係者に感謝するとともに、あらためて、アイルトン・セナの冥福を祈りたい。