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箱根駅伝を読み解く4つの「型」。
明暗を分けた強豪校の戦術とは?
text by
生島淳Jun Ikushima
photograph byShigeki Yamamoto
posted2011/01/12 10:30
東京大手町の読売新聞社前をスタートした1区のランナーたち。1kmを過ぎた辺りで早大・大迫が集団を飛び出し、そのまま1位で2区の平賀に襷をつないだ。東洋大は1区を終えた時点で首位早大に2分1秒差の8位
箱根駅伝が終わって監督やコーチの取材を通して感じたのは、「区間配置によって順位はまったく変わる」ということだった。
それを実感したのは、優勝した早稲田でさえ、ケガ人が続出して一時は3位狙いのオーダーを組むことも検討されたようだったからだ(Number770号に掲載されている拙稿「臙脂の飛翔と神の涙」を参照のこと)。
同じ選手を使ったとしても、展開が変わり、順位が変わってくるのだ。今回、取材をした学校の区間配置の特色を分析してみよう。
往路に有力選手を並べる「先行投資」型――早稲田大学
優勝した早稲田だが、「区間配置は我ながら冴えていたと思います」と渡辺康幸監督が言う通り、オーダー構成がズバリ当たって優勝を引き寄せた。
早稲田の考えは明確で、チームのなかで最上位の選手を3区までに並べるというもの。1区大迫傑(1年)、2区平賀翔太(2年)、3区矢澤曜(3年)。ここで後続に対して一気に4分近いリードを奪い、5区で東洋大・柏原竜二に差を詰められても逃げ切るというプランだった。
しかし4区終了時点で、東洋大との差は2分54秒。5区山登りで逆転を許し、さらに大差をつけられることを覚悟したようだったが、5区猪俣英希(4年)の健闘で27秒差の2位でゴールしたことが復路での逆転につながった。
伝統的に早稲田は、往路、とりわけ3区までに有力選手を並べる傾向が強い。戦後最強の布陣は、1980年の石川→瀬古→金井、もしくは1993年、前回優勝時の櫛部→渡辺→小林(正)に加え4区の花田が最強オーダーと思われるが、今回の優勝メンバーもそれに匹敵するポテンシャルはあった。
推薦入学選手が増えたことで、“逃げ切り”戦略を可能に。
それにしても12月になって主力2人にケガ人を出し、メンバー繰りに苦労しながらも3区までの「先行投資」を渡辺監督はよくぞ決断したと思う。それはスター選手を惜しげもなくドカンと往路に配置して流れをつかみ、あとは選手を適材適所に配して逃げるという「早稲田イズム」が監督の根底に流れているからだと思う。
実は早稲田の歴史を振り返ると、必ずしもこの戦略が奏功するとは限らない。逃げ切るだけの選手層の厚さが早稲田にはないことがほとんどだった。しかし推薦制度を効果的に活用することで実績のある選手の入学が増え、逃げ切ることが可能になった。
今回の優勝は、大学が整備したそのようなインフラと、先行投資の早稲田哲学、そして何より11月からの厳しい集中練習に耐えた選手たちの功績である。