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徳島ヴォルティスが流した2つの涙。
津田知宏の胸に去来するあの“記憶”。
text by
戸塚啓Kei Totsuka
photograph byAFLO SPORT
posted2013/12/10 12:00
ユースから上がってプレーしていた名古屋グランパスから徳島へ移籍したのは2010年のこと。「高校時代からお世話になった名古屋とJ1の舞台で戦いたい。名古屋に行くのが楽しみです」と語った津田。
2度のPK失敗、そしてJ1昇格は札幌の手に渡った。
12月3日の最終節は、全試合が同時刻にキックオフされる。
ファジアーノ岡山とのアウェイゲームに臨むヴォルティスは、0-0でハーフタイムを迎えた。ホームにFC東京を迎えたコンサドーレ札幌は、2-0とリードしている。得失点差でコンサドーレに劣るヴォルティスは、できるだけ多くのゴールを奪って勝利しなければならない。
後半開始直後の47分だった。ヴォルティスが得点機をつかむ。ゴール前へ飛び込んだ津田が、DFともつれるように倒れ込む。主審が反応する。甲高い音色が響く。ヴォルティスにPKが与えられたのだ。
ボールをセットしたのは徳重だった。前節でPKを外した男が、再びチームの命運を背負う。
だが、彼のキックはこの日もサポーターの悲鳴を誘うことになる。GKに弾かれた一撃はバーを叩き、ゴールラインの手前でバウンドしたのだった。
0-0のまま推移した後半アディショナルタイムに、ヴォルティスは失点を喫した。4分の追加タイムは、すでに時間の彼方へ過ぎ去っている。J1へ昇格する最後の権利は、FC東京に2-1で競り勝った札幌が手にしたのだった──。
「周りが思っていないことまで、自分で背負っていた」
PKが決まっていたらという「if」を、津田ははっきりと否定した。怒りにも似た歯痒さが、3カ月後も胸中で渦巻く。
「2010年の僕は16点取った。2011年も2ケタは確実に取るだろうという期待は、誰もが持っていたと思う。そういう部分での責任は、とてつもなく大きかった。チームで一番点を取らなきゃいけないと、周りが思っていないようなことまで自分で背負っていたところがあった」
得点源たる自覚を胸に刻んだ2011年は、ゴール数を大幅に減らしてしまった。35節にあげた7点目が、津田のラストゴールとなった。
「最後の2、3試合で自分が1点ずつ取っていれば、間違いなく昇格できたんです。それなのに……」
暗闇に迷いこんだかのように、津田は押し黙った。頭のなかは整理されている。だが、込み上げる怒りと後悔が、すぐに口を開くことを拒絶していた。