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<ミラン時代の教え子が語る> レオナルド 「ザックと日本の親和性」
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byTamon Matsuzono
posted2010/12/20 06:00
監督としての参考書となったザッケローニの手法。
私はこのシーズン、ケガの影響もあって時間が限られたなかで、12得点を挙げることができた。ウディネーゼから移籍してきたビアホフを頂点に3トップを形成し、左利きの私は左ではなく右ウィングで主に起用された。
外から中に持ち込んで勝負しろと口酸っぱく言われたことで、シュートに持ち込む意識は高くなった。ウィングを利き足と逆のサイドで使うのはウディネーゼで取った手法ではあるが、当時のイタリアでは斬新な考えに違いなかった。ザッケローニはフォーメーションにしても一つに固執していたわけではなく、柔軟な対応力を持っている人だった。
ザッケローニが指揮を執った3シーズンで、スクデットを獲得できたのは最初のあの1シーズンだけ。しかしながら彼と過ごした3シーズンはとても意義深い時間だったと感じている。私は昨季、ミランで監督を務めたが、選手とのコミュニケーションの取り方など彼の手法は良い参考書となったものだ。
イタリアでは彼のことを「過去の監督」と揶揄する人もいる。だが私はそのようには決して思わない。勉強家である彼の思考は、今もって洗練されている。
彼は日本というものを理解しようとしているし、新しいチャレンジに前向きに取り組んでいる。腰を落ち着けてやれば、日本サッカーの発展に一役買う存在であることは疑いの余地もない。
レオナルド
1969年9月5日、ブラジル・リオデジャネイロ生まれ。フラメンゴ、サンパウロなどでプレーし、'94年に鹿島に移籍。Jリーグ通算49試合30得点を記録。その後、パリSG、ミランなどで活躍。引退後の'09年にはミランの監督に就任したが1年で退任した