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“スエマエ”解散。個性溢れるペアが
バドミントン界に残した財産。 

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松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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posted2013/09/23 08:01

“スエマエ”解散。個性溢れるペアがバドミントン界に残した財産。<Number Web> photograph by KYODO

最後の試合となったヨネックスオープン第2日、女子ダブルス1回戦で敗退した末綱(右)、前田ペア。

一人が壁を破ると、後に続く者が現れる。

 北京五輪で4位に入ったチームの先輩に刺激を受け、そして超えようと努力した結果がメダルだったのだ。事実、ルネサスの今井彰宏監督もこうコメントしている。

「北京のあと、練習への取り組みが変わり、一球一球に気持ちがこもるようになりました」

 壁が大きく思えても、一人が破るとあとに続く選手が出てその競技が活性化することがある。北島康介の世界選手権やオリンピックでの活躍が、「日本人でもやれる、自分も」という思いを抱かせ、次々に世界の上位を争う選手が出た競泳はいい例だ。

 バドミントンも、末綱と前田がベスト4という地点へとたどり着いた。その風景があとに続く選手を導き、そして悲願の日本バドミントン初のメダルにつながったのである。

 2人は個性あふれるペアでもあった。

 本格的に組んだのは2004年、前田が末綱の所属するルネサス(当時は九州日本電気)に入社してからのこと。翌年には世界選手権の代表にも選ばれている。

オグシオには絶対負けたくないなって。

 実績を積み重ねる前から話題となったのは、試合中の両者の「緊迫感」だ。大げさに言えば喧嘩しているような、対立しているかのように見えることがあったのだ。

 以前、前田も認めていた。

「たしかに、試合中に口をきかなくなることもありました。お互いに頑固だし、先輩に『こうしよう』と言われても、納得がいかないから私はこうする、自分が思っていることをやるんだって」

 負けん気の強さは、北京五輪時を振り返る末綱の言葉にも表れている。

「バドミントン、イコール、オグシオっていう感じでしたよね。彼女たちが注目を浴びることで、五輪代表の私たちも、ついでというわけじゃないですけれど、取り上げてもらえるようにはなった。でも腹の中では、超えてやれというか、絶対負けたくないなって思っていました」

 そんな負けん気の強さも、ペアの個性であった。

 結成して10年、「先輩」「前田」と呼びあってきた2人はペアを解消した。目標としていたオリンピックでのメダル獲得はならなかった。しかし、その功績は、メダルにかかわらず、大きい。

 前田は垣岩と組んで再出発する。どのような融合を生むのか、それも楽しみである。

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