日本代表、2014年ブラジルへBACK NUMBER
ザックジャパンに招集されるべき男。
玉田の経験値はアジア杯で生きる!
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byTakuya Sugiyama
posted2010/11/27 08:00
Jリーグ初優勝に涙する玉田。日本代表に初招集されたのは2004年のジーコ監督時代。ドイツW杯ではブラジル戦でゴールも決めている
歓喜の輪をつくる仲間のもとまで、しばらくたどり着けなかった。
11月20日、平塚競技場。
名古屋グランパスの初優勝が決まった瞬間、名古屋側のベンチから選手、スタッフが次々とピッチに飛び出していく。交代してベンチから戦況を見守っていた玉田圭司も皆に遅れまいと歩を進めようとしたが、ピッチに足を踏み入れるとタオルを目に当ててしゃがみこんだ。
泣いていた。あふれ出る涙をどうやっても抑えられなかった。ヘディングで決勝点を挙げたヒーローは、いつものポーカーフェイスを捨ててむせび泣いたのだった。
「サッカーがしたくて、試合がしたくてたまらなかった」
優勝セレモニーを終えた後、玉田は照れくさそうに言った。
「(涙は)見せたくなかったんですけど、自然と出てしまって……。自分にとって初優勝だし、グッとくるものがありました。今年はいろいろとあったけど、結果的にはいい方向にいった。ワールドカップにも感謝したいと思います」
涙を流した背景には、プロ12年目で味わうリーグ初優勝の感慨もあれば、南アフリカW杯で2試合の途中出場にとどまった消化不良の悔しさをJリーグでぶつけてきた思いもあったに違いない。
「(W杯が終わって)切り替えるのは簡単でした。僕の場合はサッカーがしたくて、試合がしたくてたまらなかった」
W杯以降の玉田は躍動するプレーでゴールを量産していった。この日の湘南戦で自己最多となる通算12得点をマーク。そのうち清水エスパルス戦のハットトリックを含む10ゴールを7月からの中断明けに奪っている。プレーに多少のムラはあったが、この玉田の活躍なくして後半戦に入ってからのチームの独走劇はあり得なかった。
今季の玉田が光っていたのは、何も得点力だけではない。彼は組織の戦いを重視したうえで個の能力を発揮することにこだわっていた。
4-3-3というシステムの性質上、3トップの両ウイングには相当な運動量、守備が求められる。チームのために献身的に走り、積極的に守備もこなす玉田のハードワークは戦術面で間違いなく効いていた。玉田自身も「自分でもよく走ったと思いますよ」と、チームのひとつの駒になれたことを誇りに感じているようだった。