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弱さを自覚して再出発の韓国代表。
ホン・ミョンボ監督就任までの経緯。
text by
吉崎エイジーニョ“Eijinho”Yoshizaki
photograph byAP/AFLO
posted2013/07/03 10:30
7月28日には東アジア杯の一戦として、韓国のチャムシル総合競技場において約2年ぶりとなる日韓戦が実現する。
「結果でしか判断されないプレッシャーに苦しんだ」
チェ・ガンヒは代表監督としての1年半を「就任直後の2試合以外は苦しいことだらけだった」と振り返る。'12年3月のワールドカップ最終予選ファイナルドロー前には「日本と同組になることを歓迎する」とも発言していたが、任期の終盤はそれどころではなくなっていった。
「期限付き監督では限界があった。クラブでやってきた攻撃サッカーを貫こうとしたが、代表監督は結果でしか判断されない。このプレッシャーに苦しんだ」
9月11日、アウェーでウズベキスタンと引き分けた。そこからメディアの風当たりが急激に強くなっていく。
翌'13年6月4日、レバノンとのアウェーゲームに1-1で引き分けると、いよいよチェ・ガンヒは追い込まれる。
自身が「らしくない」と語るような行動に出てしまう。
焦りも露わに選手に強く意見したり、これまであまり使ってこなかったホワイトボードにあれこれと沢山書き込んで理解を強いることもあった。
6月11日(ウズベキスタン戦)と18日(イラン戦)の両ホームゲームで見せた韓国代表は、こんな姿に変わっていた。
後方からのロングフィード。
前線の196センチFWキム・シンウクに、ただロングボールを当てるのみ。
こぼれ球を周囲の選手が拾う。
南ア大会直後に目指したスタイルの破片すら見当たらなかった。結局、ホームでの2試合で、相手のオウンゴールからの1得点しか奪えず仕舞だった。
ホン・ミョンボ新監督は「韓国型のサッカー」で暗雲を振り払う!
ロングボール中心のスタイルになった背景のひとつには6月の3試合で、中盤の軸として期待されていたキ・ソンヨンとク・ジャチョルの選出を見送ったことがある。
キ・ソンヨンは初戦が警告累積だったためで、ク・ジャチョルはシーズン途中のケガが回復して日が浅いことが理由だった。
チェ・ガンヒは「3戦を通じての結束力を高める」と理由を説明したが、その案は功を奏さなかったようだ。決戦となったイラン戦では、ボランチに代表キャップ2試合目という不慣れなイ・ミョンジュと、本来CBのチャン・ヒョンスを起用せざるをえなかった。
そんな暗黒の時代をリセットすべく登場したのが、ホン・ミョンボなのである。
6月25日の就任会見では「韓国型のサッカーを構築する」と宣言した。かつてイビチャ・オシムが日本代表監督就任時に「サッカーの日本化」を宣言した状況にも似ている。
ホン・ミョンボはその内容について、短くこう話している。
「韓国選手の勤勉性、誠実さ、チームに対する犠牲精神を生かしたサッカーにする。これまでよりもコンパクトなサッカーを目指す。ピッチのどの位置でプレッシングをかけるのか。どうやってコンパクトにしていくのか。この点を本大会まで追求していく」