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弱さを自覚して再出発の韓国代表。
ホン・ミョンボ監督就任までの経緯。
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吉崎エイジーニョ“Eijinho”Yoshizaki
photograph byAP/AFLO
posted2013/07/03 10:30
![弱さを自覚して再出発の韓国代表。ホン・ミョンボ監督就任までの経緯。<Number Web> photograph by AP/AFLO](https://number.ismcdn.jp/mwimgs/d/0/700/img_d0f57691397dfe94bdf82cf7338c67b2313328.jpg)
7月28日には東アジア杯の一戦として、韓国のチャムシル総合競技場において約2年ぶりとなる日韓戦が実現する。
南ア後、韓国代表はパスサッカーを目指したが……。
ブラジルへのスタートは「変化」から始まった。
'10年南アW杯後、パスサッカーを志向するチョ・グァンレが新監督に就任。南アでのベスト16のスタイルを打ち壊し、新しいスタイルを目指した。
チョ・グァンレのサッカーは「まるで漫画のようなファンタジーあふれるサッカー」と言われ、韓国サッカーをワンランク上に導くという期待を集めた。
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'11年1月のアジアカップ準決勝、日本戦の前には国内メディアでこんな見出しが躍った。
「どちらがアジアのバルサなのか?」
つまり既存のフィジカルを重視した力強いスタイルから、近年の日本に近い、パスサッカーを重視したスタイルに変えていこうとしたのだ。
日本に大敗した「札幌大惨事」でチョ・グァンレ監督が失墜。
ところが……日本との正面衝突で2戦2敗と大破。
アジアカップではPK戦での敗戦だったが、同年8月の札幌ドームにおける0-3での大敗はまずかった。フル代表が日本に3点差で負けるのは、釜本時代の1974年以来だったからだ。
日本のファンからすると「そんな試合もあったな」程度のことかもしれないが、韓国メディアではいまだにこの試合は“札幌大惨事”として記事に時折登場するほどの歴史的事件なのだ。
ここから一気にチョ・グァンレへの風向きが悪くなった。
'11年11月、ワールドカップ3次予選(アウェー)でレバノンに1-2の敗戦を喫すると、そこまで選手の招集問題などで摩擦を起こしていた協会側の不満が表面化。
2011年12月8日、チョ・グァンレは電撃解任されてしまった。
その一方で、新監督探しは困難を極める。
外国人監督はヨーロッパのシーズン途中だったため大物を引き当てるのが難しかった。国内はシーズン終了後ではあったが、何人かの候補者が代表監督就任を固辞した。
あくまで根拠が定かではない噂としてではあったが、「'14年は最終的にはホン・ミョンボが指揮を執ることになっている」という話が当時頻繁に囁かれていた。
結局、KFAは近年のKリーグで最も実績を残していたチェ・ガンヒをクラブから引き抜いた。この時、チェ・ガンヒが出した条件こそが「ワールドカップ最終予選までの契約」だったのだ。
チェ・ガンヒは、就任前からW杯予選終了後に元のクラブに戻る意向を明らかにしていた。歴史上でもほとんど例のない“レンタル”代表監督だったのだ。