野ボール横丁BACK NUMBER
“役割分担”が決まった侍ジャパン。
「組織力」は「個の力」を上回るか?
text by
中村計Kei Nakamura
photograph byNaoya Sanuki
posted2013/03/17 08:02
田中の突然の不調から、マウンドに集まったナインと東尾投手総合コーチ。2次ラウンドのオランダ戦では復調の気配を見せ、決勝での先発も予想されている。
「日本の登山隊は野球に近い」と登山家の竹内は言う。
昨年5月、世界8000メートル峰全14座完全登頂を果たした登山家の竹内洋岳は、こんな話をしていた。
「日本の登山隊は、チームというより会社に近い。しっかり役割分担がされている。どちらかというと野球に近いんです。一方、ヨーロッパの登山隊は1人ひとりがもっと自由。だから、サッカーに近い」
大昔、国家間の威信をかけた「戦争」の延長だった登山は、どの国も組織登山が主流だった。だが時代とともに世界の登山は個人スポーツになっていったのに対し、日本は、組織登山をより発展させた。そのため、ヒマラヤに「ジャパニーズクロワール」と呼ばれる国名を冠したルートはあっても、「メスナールート」のように個人名が冠せられたルートはほとんどない。
日本人は組織における自分の「役割」を必死で探す。
竹内には、こんな経験がある。2006年、国際公募隊に参加したときのことだ。途中で天候が悪化し、食料が少なくなったため、隊は引き返すかどうかという岐路に立たされた。そこで竹内は、2つのグループに分け、どちらかは食料を取りに戻り、一方はチャンスがあれば頂上を目指すということでどうかと提案した。すると、一斉に非難の目が向けられた。
「みんな同じ料金を払っている。だから、平等に登頂する権利がある、というわけです。ヨーロッパには日本のように誰かが犠牲になってでも成功者を出すという考えではないんです。つまり、リーダーもいないし、役割もない。あくまで個の集合体に過ぎない。だから海外の登山隊に参加するときは、野球ではなく、サッカーのつもりでいる」
日本人は、まとまるために自分の「役割」を必死で探す。そのチーム仕様に自分を変え、文字通り集団としてひとつになろうとするのだ。逆に欧米人は、手を組む条件として「個の保証」を求める。つまり、どのチームにおいても、自分の形は変えない。したがって、集団はあくまでも「個人が集まった」という意味でのまとまりでしかないのである
そう考えると、日本が、チームとして体を成すのに時間がかかるのは、しょうがないのかもしれない。