Sports Graphic Number MoreBACK NUMBER
<日本バレー界期待の星> 八子大輔 「この試練を成長の糧に変えてみせます」
text by
市川忍Shinobu Ichikawa
photograph byKenta Yoshizawa
posted2013/03/07 12:00
「勝った試合より負けた試合のほうが印象に残るんです」
その後、周囲の勧めもあって全国大会の常連である深谷高校に進学。東海大時代には全日本シニア代表にも選ばれる。常にスポットライトの中心を歩んできた八子だが、最も記憶に残っている試合を尋ねると、意外にもこんな答えが返ってきた。
「勝った試合より負けた試合のほうが印象に残るんですよね。特に、一番悔いが残っているのが大学4年のときの全日本インカレです」
東海大4年生の春、八子は進級とともにバレー部の主将になった。東海大は数々の大会で優勝を飾り、天皇杯ではV・プレミアリーグのチームを下すこともある大学勢随一の強豪である。八子が主将として率いた当時の東海大は春の関東大学リーグ、続いて行なわれた東日本インカレと東西インカレ、秋の関東大学リーグを全勝という成績で終える。大学生を相手に1敗もせず、最後の大会となる全日本インカレを迎えることとなった。
「周りからすれば、普通に優勝できるだろうと思われていたでしょう。でもプレーしている僕らは、勝つことが当たり前と思われている分、プレッシャーがどんどん大きくなった。一つでもプレーがうまくいかないと、負けるんじゃないかって、もうムードが悪くなって、動揺してしまって……。受け身になっていたんだと思います」
ただ一人の4年生として全日本インカレ。八子が残した「悔い」とは?
結局、東海大は早々と準々決勝で散った。
何より悔やんでいるのは、徐々にプレッシャーがかかり、ギクシャクするチーム状況に気づきながら何もできなかったことだと八子は振り返る。
「全日本インカレ直前に天皇杯の予選があって、負けはしなかったものの大学生相手に思わぬ苦戦をしたんです。負け試合みたいなものですよ。その辺りから“勝ちたい”じゃなく、“負けられない”という気持ちが強くなってしまったんだと思います。それに気づきながら、全日本インカレに臨んでしまった。あのときは試合に出ている4年生が僕1人でした。上級生として、主将としてプレー面で引っ張っていこうとしましたが、もっと何かできたんじゃないかと今でも思います」
今、当時に戻れたら何をしたいかと尋ねると、八子は言った。
「もっと周りに気を配って、プレッシャーを軽くするような言葉をかけたいですね。後輩が安心できるように。そして自分も落ちついてプレーできたらよかったなあと思います」