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<日本バレー界期待の星> 八子大輔 「この試練を成長の糧に変えてみせます」
text by
市川忍Shinobu Ichikawa
photograph byKenta Yoshizawa
posted2013/03/07 12:00
迷いがプレーに現れ、勝利に結びつかない。だが今は雌伏のとき。
この試練を抜け出たとき、大きく成長した八子が見られるに違いない。
2月17日、東レアローズに敗れ今シーズン15敗目を喫したあと、エースの八子大輔はがっくりと肩を落としコートに座り込んだ。頭からかぶったタオルで顔を覆い、あふれる涙を必死に隠す。8チーム中、6位(2月24日現在)と苦しんでいるJTにあって、中心選手として出場する八子もまた、分厚い壁にぶつかっている。なんとか現状を打破しようと闘うものの、第3レグに入っても状況は変わらず、なかなか長いトンネルを抜け出せないでいた。
「ここまで自分のプレーができず、チームも勝てない状況というのは、今までバレーをしてきて初めての経験なので……。正直言って今は、何をどうしたらこの状況から抜け出せるのか、何をすればいいのか、方法がわからないという感じです」
ふりしぼるように、そう語った。
深谷高校のエースとして出場した春高バレーで連覇、一躍脚光を浴び、東海大時代も幾度も優勝を経験した。順風満帆なバレーボール人生を送ってきた八子にとって、おそらく初めて迎える大きな試練だろう。
サッカーに明けくれていた八子少年に訪れた「転機」とは?
八子がバレーボールを始めたのは中学1年生のときだ。ママさんバレーの選手だった母親と、5歳年上の兄の影響だった。
それまでサッカーに明けくれていた八子少年に訪れた転機のきっかけは「成長痛」。骨の成長に筋肉が追いつかず、毎日、ひざがキリキリと痛んだ。サッカーボールを追って走れないほどの激痛に襲われ、診断の結果、手術に踏み切った。小学校6年生当時、すでに身長が180cm近かった八子はその直後、「長身を生かせるスポーツを」と、中学進学と同時にバレー部に入部する。
中学1年で長身選手が招集される関東ブロック合宿に呼ばれ、中学2年で「オリンピック有望選手」に選出された。そのころからオリンピックを意識するようになった。
「有望選手に選ばれたとき、最初は“なんで自分が?”と戸惑いましたけど、そこまで期待してもらっているんだと徐々に実感が湧きました。オリンピックに行けるかもしれないというより、“行かなければいけないんだ”という気持ちになりましたね」