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<雑草魂、千葉ロッテの中軸に> 角中勝也 「七尾発、高知経由、首位打者行き」 

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中村計

中村計Kei Nakamura

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photograph byMasaru Tatsuki

posted2012/08/27 06:00

<雑草魂、千葉ロッテの中軸に> 角中勝也 「七尾発、高知経由、首位打者行き」<Number Web> photograph by Masaru Tatsuki

ただひたすらに、バットを振った野球漬けの少年時代。

 稔は角中が3歳になり保育所に入ると、毎日、1kmのロードワークを課した。本格的に野球の指導を始めたのは小学校に入ってからだ。車庫の2階でティー打撃をさせた。半年もすると、惚れ惚れするような振りをするようになった。両脇を極端に締める角中独特のフォームは、このとき身に付けたものだ。

「1、2年生の間は、1日100球前後。でも毎日やらせた。正月も休んでない。僕がいないときは自分でスイングしとけ、って。9時頃家に帰ってきて、家内に『しとらなんだわ』って聞いたら、布団まくったよ」

 稔は自宅で織物を織る仕事をしている。だが、母・久美は「あの頃は、野球が仕事やった」と笑う。

 角中が小学4年生に上がるとき、自宅の隣にあった仕事場を室内練習場に改造した。照明を設置し、ネットを張り、50万円のバッティングマシーンを購入した。

「中にあった織物の機械、14台もスクラップにしたわ。息子の野球の方が大事やと思って」

 稔が宝くじを買わなくなったのも、この頃からだった。

「息子に賭けて、こいつが1億円プレーヤーになる確率の方がはるかに高いと思ったからな。人にもそうやって言っとった」

息子をプロ野球選手に、という父の信念の下でバットを振り続けた角中。
厳しい環境でも野球を続けたのは「好きだから」ではなく、意外な理由だった。
そんな角中が頭角を現したのは、高校卒業後に入団した四国IL・高知。
打撃面でのある意識改革が、持ち前の勝負強さに磨きをかけていく――。
つづきは、雑誌「Number」ロンドン五輪臨時増刊号、もしくはNumberモバイルでお読みください。
<ロンドン五輪特別編集>終わらない物語。

Sports Graphic Number 2012/8/24臨時増刊

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