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<日本一のアルパインクライマーが語る(3)> 山野井泰史 「経験したことと、記録されたもの」 

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柳橋閑

柳橋閑Kan Yanagibashi

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photograph byMiki Fukano

posted2012/08/16 06:00

<日本一のアルパインクライマーが語る(3)> 山野井泰史 「経験したことと、記録されたもの」<Number Web> photograph by Miki Fukano

ギャチュン・カン、生還劇と物語化の影響。

――その後、K2(8611m)の南南東リブから単独初登など、クライマーとして大きな達成の後、2002年のギャチュン・カン(7952m)では下山中に遭難して、その生還劇を沢木耕太郎さんが『凍』に描いたことで、話題にもなりました。このときのことは何度も聞かれているでしょうが、いま振り返ると、ギャチュン・カンというのは、山野井さんにとってどんな経験だったのでしょうか。

 指はずいぶんとなくなっちゃいましたけど……でも、妙子とたった二人、アルパインスタイルで、2000mも北壁を登れた。たまたま帰りに嵐にあってしまったけれども、全力でベースキャンプまで帰りついた。

 その後もずいぶん聞かれて考えましたけど、もしまた同じような状況に遭っても、僕らは何度でも生きて帰って来ると思います。もちろん、実際にはすごく大変なことで、普通の人じゃ無理だと思いますよ。でも、僕らはあの状況で生き残れるだけの対処力を持っていた。

 あの登山そのものは、ひとつのいい思い出だったなと思う。もっとも、凍傷で指を切断したことで、その後クライマーとしてはずいぶんレベルは落ちちゃいましたけどね。

――それが『凍』によって物語化されたことは、自分の記憶や考え方に影響を与えましたか。

 それはないと思うけど、この話をしたくないのは、僕たちのせっかくのいい思い出が、話すことで失われちゃうような気がするからなんです。

 宙づりになりながらマイナス40度で耐えましたとか、そういうエピソードは聞くほうとしてはおもしろいのかもしれないけど、何度も話すことで、僕の中で薄まるというか、大したことじゃなかったように感じられてきちゃう。だからね、もったいなくて言えない。大切に自分の中でとっておけばいいじゃないかと思うんです。

――逆のパターンで、辛い経験をした人がトラウマを消すために、そのことを物語化して話すというセラピーもありますよね。話すことには体験を薄める効果があるんでしょうね。

 なるほど。おかげでずいぶん薄まっちゃったな(苦笑)。

――「あえて人に見せなくてもいい」と思っていた山野井さんが、あそこで沢木さんに書いてもらったというのは、なぜだったんでしょうか?

 単純に僕はボクシングが好きなので、沢木さんの本はけっこう読んでいたし、フォアマンのNHKのドキュメンタリーは今までのもので最高だと思っていたので、ちょっと興味があったんです。ボクシングの話をしてみたかった(笑)。

 初めて沢木さんが病院に見舞いに来たとき、「あ、この人は僕のことを好きなんだな」というのはすぐに分かりました。それは向こうも感じたんじゃないかな。恋愛と似たようなものだと思います。取材というわけでもなく、お茶を飲んでしゃべっているのが楽しかったし、それが本になるかならないかはあまり関係がなかった。

――本を読んだときはどう思いましたか。

 すごいと思いましたよ。だってロープをどういうふうに結わえて、どういうふうに登っているか、登山の技術を何も知らない状態から、あそこまで書けたわけですから、すごい才能なんだなと思います。ただ、いくら沢木さんが素晴らしい作家であっても、残念ながら、生で見ていないというのは決定的ですよね。僕らが経験したヒマラヤはもっと美しくて、もっと偉大で、もっと厳しいものだった。僕らが感じたものは、やっぱり僕らだけの大事なものなんです。

最終回となる第4回「驚異のカムバック、なぜ山に登るのか」では、クライマーとしての復活、そして山に登りつづける理由をじっくりと語っていただきました。
8月23日頃に公開予定です。
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