濃度・オブ・ザ・リングBACK NUMBER
FEG破産から新生K-1誕生まで──。
一体「K-1」で何が起きているのか!?
text by
橋本宗洋Norihiro Hashimoto
photograph bySusumu Nagao
posted2012/06/01 10:30
新生K-1のエグゼクティブ・プロデューサー(EP)に就任した魔裟斗。2012年5月16日に行なわれた就任記者会見では、K-1の顔役としてその抱負を語った。今後、EPとして主に試合のマッチメイクなどを行なう。
「K-1、潰れたんだって? いつ潰れたの」
K-1を主戦場にしていたある選手は、知人にそう訊かれてひどく気分を害したそうだ。同じような経験をした選手は、おそらく何人もいるだろう。
確かに、K-1は「潰れた」と思われても仕方のない状況にあった。昨年、開催された2大会はテレビ中継なし。“テレビ番組”として見てきた層にとっては、昨年からK-1は「やってない」状態だったことになる。
63kg級と70kg級の日本トーナメントは行なわれたが、世界トーナメントは開催に至らなかった。中国で予定されていたヘビー級トーナメントも、対戦カードが発表されないまま直前になって「延期」されている。事実上の活動停止である。
そして最近になって、これまでK-1を運営してきた株式会社FEG(谷川貞治代表)の、第三者による破産申請が裁判所に受理されたというニュースも飛び込んできた。となれば、誰もが「K-1は潰れた、終わった」と考えるはずだ。
ただ、FEGは破産しても、それはK-1そのものの終焉とイコールではない。むしろFEG破産という“負のニュース”と同時進行で、新たな道を進んでいるのだ。
「K-1」というネーミングライツの行方。
破産したFEGは、K-1の“運営会社”であった。2002年、K-1創始者である石井和義氏が法人税法違反で起訴されたことで、大会運営を引き継いだのが谷川プロデューサー率いるFEG。この段階で商標権を持っていたのは石井氏だった。つまりFEGはライツホルダーではなかったのだ。
FEGが新たな出資者を探す過程で、K-1の商標権は香港に設立されたK-1グローバル・ホールディングスに移った。K-1は瞬間的には「潰れた」かもしれないが、すぐに新体制に移行したのである。
K-1グローバルのライツ獲得によって、FEGはK-1の運営会社ではなくなった。当然、谷川氏はプロデューサー職を辞すことに。K-1グローバルによる新体制が大会開催を発表し、マッチメイクが進む中で表沙汰になったのが、FEGの破産だった。