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1973年組のイチローと小笠原道大。
「老い」という名の限界に立ち向かう。 

text by

中村計

中村計Kei Nakamura

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photograph byNaoya Sanuki/Hideki Sugiyama

posted2012/02/10 10:30

1973年組のイチローと小笠原道大。「老い」という名の限界に立ち向かう。<Number Web> photograph by Naoya Sanuki/Hideki Sugiyama

落合博満が本塁打王となり、長嶋茂雄が引退した歳が「38歳」。「普通は体がしんどくなってくるから、それを心が支えるという順番が多いが、全く反対だった。折れた心を体で支えていたという特殊な現象があった」と昨季の調子を語っているイチロー(右)

 昨年末、何人かの編集者に提案したが、実現にいたらなかった企画がある。正確に言えば、どこもそれなりに興味を示してくれたものの、実現に向けて動くことさえできなかった。それほど難易度が高いと思われる企画だった。

 その企画とは、イチローと小笠原道大の対談である。それだけでも、いくつかのハードルが予想された。

 さらに、テーマが厄介だった。

「老い」

 それについて、2人に語り合ってもらいたかったのだ。

 アスリートが、しかも現役中に、乗ってくるとはとても思えなかった。もっと正直に書けば、こちらも少々言い出しにくい……。

同じ1973年生まれのイチローと小笠原道大の共通点。

 なぜ、この2人なのか。というのは、2人にはいくつかの共通点があるのだ。

 まず、年齢だ。ともに1973年生まれである。球界で「イチロー世代」と呼ばれることはほとんどないが、この代には、他にも松中信彦、黒木知宏、三浦大輔、石井一久、中村紀洋がいるなど、実は、隠れた黄金世代である。

 その中で出世頭を2人挙げるとしたら、すでに名球会入りを果たしているイチローと小笠原になる。

 2人とも、世に出てからは、いったいどこまで登り詰めるのだろうと思えるほど、低迷らしい低迷もなく、安定して好成績を残していた。つまり、引退というイメージがもっとも湧かない選手だった。

 ところが昨年、2人とも目に見えてはっきりと成績が落ちた。イチローは、これまで10年続けてきたシーズン通算200安打の記録が途切れ、小笠原にいたっては死球によって2度戦線離脱した影響もあり規定打席にさえ達することができなかった。成績も打率は.242、ホームラン5本と大きく落ち込んだ。

 いったい2人に何が起きたのか。

 ひょっとしたら、現代のアスリートにとって、特にプロ野球の打者というジャンルにおいては38歳という年齢がひとつの鬼門なのではないかと思った。それが企画理由である。

【次ページ】 2人がアオダモ製のバットに執着する理由とは?

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