日本代表、2014年ブラジルへBACK NUMBER
“松田魂”を受け継ぐ栗原勇蔵。
代表レギュラー奪取に懸ける決意。
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byToshiya Kondo
posted2012/01/25 10:31
松田直樹メモリアルゲームでプレーする栗原勇蔵(写真左)。マリノスではこれまで、井原正巳、小村徳男、松田直樹、中澤佑二と日本を代表するCBを輩出してきた。栗原は、その名誉ある系譜に名を連ねることができるか?
試合前の松田に強烈な張り手で気合いを注入。
2人のエピソードとしてよく知られているのが2004年12月のチャンピオンシップ。アウェー戦となった第2戦の試合前、「気合いを入れてくれ」と松田が栗原に頬を張るように頼み、腕っぷしの強さで鳴る後輩の強烈なビンタに「意識が飛びそうだった」と頬をさすりながらピッチに立った。だがこのビンタがチーム全体への気合い注入となり、浦和レッズとの激闘をPK戦の末に制して2連覇を果たすわけである。先輩後輩でも遠慮なし。2人の絆を垣間見ることができるエピソードであった。
代表での栗原は実力を発揮できず、南ア行きを逃した。
栗原はリーグ戦30試合に出場した2006年以降、松田や中澤とともにマリノスの中心となっていく。しかし代表ではオシムジャパンに選出されながら定着できなかった。2010年4月の親善試合セルビア戦で満を持して代表復帰。そのとき、指揮官の岡田武史が「これまではポジショニングや、常にアラートの状態でいられるかというところで問題があったが、最近そういうところも改善されてきた」と栗原の成長を買ったうえでの招集だった。だが栗原はセルビア戦で結果を残せずに前半だけで交代させられてしまい、南アフリカ行きの切符を手にすることはできなかった。松田もうらやむほどの高いポテンシャルを持っているのに、代表では突き抜けられない。そんな状態がしばらく続いた。
ザッケローニ監督に指摘された「安パイなプレー」。
2011年、栗原にとっては飛躍の一年になるはずだった。
アルベルト・ザッケローニに評価され、2010年10月のアルゼンチン戦、韓国戦で今野泰幸とコンビを組み、強豪相手に無失点で抑えきった。やっと軌道に乗り始めたと思いきやケガでアジアカップに参加できず、吉田麻也にレギュラーのポジションを奪われてしまうのである。
ザッケローニからは8月末、練習後に呼び止められ「アルゼンチン戦や韓国戦のときと比べて、激しさとか若さのあるプレーが少なくなったんじゃないか」と苦言を呈された。栗原は自問自答した。「自分はそういう激しさが売りのはずなのに安パイなプレーになっていたのかもしれない」と――。