欧州サッカーのサムライたちBACK NUMBER
日本生まれの北朝鮮代表、鄭大世。
異邦人の疎外感と葛藤を乗り越えて。
text by
了戒美子Yoshiko Ryokai
photograph byTakuya Sugiyama
posted2011/12/21 10:32
11月にはドキュメンタリー映画『TESE』も公開された鄭大世。詳しくは、『TESE』公式サイトまで http://chongtese.net/
代表にかける思いの強さが空回りした苦しい日々。
今季、鄭大世は調整に苦労した。オフに手術した膝がようやく完治し、ボーフムで今季初めてリーグ戦に出場したのが8月20日第5節のこと。3次予選初戦である日本戦(埼玉)直前の第6節はベンチ入りしたものの出場機会はなく、「どうしよう。代表戦前に試合に出ておきたかったのに」と焦りを漏らした。
その後、ボーフムでは第10節インゴルシュタット戦でハットトリックするなど調子を上げてはいたのだが、代表のスケジュールとコンディションの調整が合わなかった。3次予選が始まる直前の8月末からちょうど2カ月間、それまで頻繁に更新されていたブログさえ止まった。
「日本戦(埼玉)の頃からしばらくへこんでて、更新する気にならなかったんですよね」と笑い飛ばそうとする様子が、逆に代表への思いの強さを感じさせる。
「オレはスポーツと政治は別ものだと捉えている」
11月11日、アウェイでウズベキスタンに再び敗れW杯への道が断たれた。その4日後、平壌での日本戦はこの予選で一番の注目を浴びた。22年ぶりに平壌に日本代表を迎える歴史的な一戦、彼ら北朝鮮代表にとってW杯予選かどうかなど関係なかった。ただ、勝利だけが必要だった。
「北朝鮮は、試合内容は良くはないけど気迫があった。日本にとっては、負けたところでどうってことのない試合だった。でも、オレらは必死でした。だから、すごく勝負に徹した良いサッカーを出来た。日本にはチャンスも与えなかったし。日本はオレらみたいななりふり構わないサッカーはできないですよ。とにかく、オレらにとっては負けられない試合だった」
日本はその前のアウェイ、タジキスタン戦に勝利し、最終予選進出が決定していたため、主力を温存してこの北朝鮮戦に臨んでいた。サッカーの一試合を越えた意味合いすら込める北朝鮮とは、この一戦に対する温度差があった。ただの北朝鮮代表ではなく、日本で生まれ育った北朝鮮代表である鄭大世にとっては、複雑すぎる思いを抱く試合になった。
「(北朝鮮代表の)あのメンタリティは日本人には理解できないと思う。オレも理解はできるけど、あそこまでの必死なプレーは出来ないと思った。オレは日本に育ってしまったからいろんな世界も知ってるし、スポーツと政治は別ものだと捉えている。だから100パーセントの力でプレーしたけれど、みんなは150パーセントの力を出していた。そんな風に限界を超えるプレーはオレにはできなかった。早い時間に交代して外から見ていて、納得というか、オレは下げられて当然だなって思いました」