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野球選手の全力疾走。 

text by

海老沢泰久

海老沢泰久Yasuhisa Ebisawa

PROFILE

photograph byHideki Sugiyama

posted2006/09/21 00:00

野球選手の全力疾走。<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

 高校野球は技術レベルが低いのであまり見ないのだが、今年の夏は久々に毎日のように見た。早実の斎藤と駒大苫小牧の田中の投げ合いを筆頭に、面白い試合が多かったからだ。だが、何といっても気持がよかったのは、これだけは昔から変わらないことだが、どの試合も選手がきびきびと動いてスピーディーだったことだ。ピッチャーはバッターを焦らしたりせずにすぐさま投げ、バッターも打席を外さずにただボールを待って打ち、一塁に全力で走る。だからワンプレーが短く、退屈しているヒマがない。高校野球は野球の原点だとはよくいわれることだが、やっぱり野球はこうではなくちゃとぼくはそれを見てあらためて思ったのである。

 その甲子園で活躍した高校生たちが選抜チームを編成してアメリカに行った。そのとき、彼らはアメリカの高校生たちとの試合の合間に、メジャーリーグのエンゼルスとオリオールズの試合を見物したらしく、そのおどろきを斎藤がつぎのように語っていた。

 「まず、球場が大きくてびっくりしましたが、一番感動したのは、打者が一塁に全力疾走していたことでした」

 それを新聞で読んで、彼らの甲子園でのきびきびしたプレーを見た直後のことだったからかもしれないが、自分の子供のころのことを思い出した。

 もう四十年以上も前のことだが、遊び野球の仲間に、ゴロを打っても、ヒットを打ってもフォアボールを選んでも、とにかく一塁に全力で走って行く奴がいた。それを見て、ぼくも含めて、そいつ以外の子供はみんなあいつはバカじゃないかと笑ったのである。

 むろん、フォアボールのときはいうまでもなく、ゴロのときもヒットのときも悠然と一塁に走るプロ野球選手の姿が頭の中にあって、それと比較していたのである。たぶん斎藤も、プロの選手というものは一塁に全力疾走などしないものだと思っていただろう。

 アウトをセーフにする、あるいはヒットを二塁打にするというのが彼らの仕事なのに、プロの選手はどうして一塁に全力で走らないのか、ぼくは長年不思議で仕方がないのだが、それはどうも途中からそうするようになったというのではなくて、最初からそうだったらしい。

 昭和六年と九年にオールアメリカンの一員として来日し、大学チームや全日本チームと試合をしたルー・ゲーリッグが、日本の選手たちにつぎのような苦言を呈したという話が残っているのである。

 「きみたちはどうして一塁まで全力で走らないんだ。日本人はサムライだときいてきたがじつになげかわしい」

 このときは日本にはまだプロ野球はなく、昭和九年のときの全日本チームがのちに読売ジャイアンツの母体になるのだろうから、プロ野球以前からともいえるのである。

 しかし、もっと不思議なのは、相反した二つの野球をやっているのはじつは同一の人物だということだ。プロの選手も高校生のときはみんなきびきびしたスピーディーな野球をやっていたはずなのだから、そういうことになるのだろう。その彼らが大人になったとたんに豹変するのである。いったいどちらが彼らの本当の姿なのだろう。

 斎藤は大学に進学するそうだが、アメリカで感じたおどろきをこれからどう生かしていくのか、ちょっと興味がある。

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