ジーコ・ジャパン ドイツへの道BACK NUMBER
中田が全てを変えた
text by
木ノ原久美Kumi Kinohara
photograph byTakuya Sugiyama
posted2005/06/08 00:00
MF中田英寿の存在がチームに欠けていたものをもたらし、日本代表を戦う集団に変えていた。
6月3日、日本は敵地で危なげない試合運びでバーレーンに1−0の勝利を収め、2006年W杯ドイツ大会の出場権獲得に勝ち点をあと1とした。
この日、イランが北朝鮮を1−0で下して勝ち点を10に伸ばし、アジア地区最終予選B組の首位をキープ。現在勝ち点9で2位につける日本は、次の北朝鮮戦(6月8日、バンコク)で引分け以上であれば、3大会連続となるW杯出場を決めることができる。仮に負けても、イランがバーレーンに負けなければ、ホームでの最終節(8月17日対イラン)を待たずに日本の予選突破が決まる。
バーレーン国立競技場のピッチ上に立つ青いユニフォームの選手らに、直前のキリンカップで見せた低迷を感じさせる姿はどこにもなかった。
「気持ちです」。
試合後に改善のポイントを聞かれて、前半34分にこの試合唯一のゴールを決めたMF小笠原は言った。
チームを変えたのは、5月31日からアラブ首長国連邦のアブダビでチーム練習に合流した中田英だった。試合前日にも、試合を分けるポイントを聞かれた28歳のMFは、「間違いなく一対一。一対一で負けなければ試合にも負けない」と話していたが、チーム合流以来、日々の練習でチームメイトに常に厳しく細かいプレーを要求して、確認と理解を迫っていた。眼光も鋭く身振り手振りを交えての彼の振る舞いは、W杯最終予選の厳しさを知っている者の危機感の現われだったに違いない。
連日の練習で守備の意識を高めていた日本は、立ち上がりから全体で相手にプレスをかけてスペースを消し、バランスを保ちながら慌てずに試合を運んだ。
特に球際での強さは改善され、前日までの中田英や選手間でのやりとりの効果と、試合前の「絶対に球際では負けない。まずそこからやろう」という監督の指示が試合に出ていたと言える。
中田英がボランチの位置で周囲に指示を出しながら、前線の選手に鋭い縦パスを入れる。柳沢の1トップの下にMF中村と小笠原が入るという新布陣は、試合直前2日間で合わせただけだったが、本番では連動した滑らかな動きから決勝点を生み出した。
中田英からのボールを中村がヒールでポンと小笠原に渡し、そのままペナルティボックスの右のスペースへ駆け上がる。小笠原は中村とワンツーをすると見せかけて、素早いフェイクで相手DFをかわし、「GKが右寄りにいたので」ゴール左へ蹴りこんだ。
前線三人の動きとボランチの中田英、サイドの加地と三都主の攻撃参加で相手マークを混乱させた。一方で、日本は得点後もけして引き過ぎることもなく、集中も切らさずに、守備の意識を高く持ちながら、無理をせずに攻められるときに攻めた。アウェイで勝ち点キープを意識したしっかりした戦い方だったと言っていいだろう。
ただ、危ない場面も3回ほどあり、その中のひとつは、前半終了間際にFWユスフが三都主からボールをカットして攻め上がり、放ったミドルシュートがGK川口の手をかすめてポストを直撃するというものだった。
だが、バーレーン選手の動きに前回までの対戦で見られたような切れはなく、後半は動きも落ちて、脅威は感じられなかった。
小笠原のゴールが決まった時にはあまり表情を変えなかったジーコ監督も、終了の笛を聴くと両手を点に突き上げてガッツポーズ。選手もスタッフもベンチで抱き合い、勝利を祝った。
「日本は頭をフルに使いながらいい戦いをした」と、ジーコ監督は言い、その顔からは、ここ数日間見せていた眉間の皺が消えていた。「いかに高い技術や戦術を持っていても、それを生かすのはハート」と言い、この日の選手たちの努力を褒めた。
W杯への切符をほぼ手中に収めた日本だが、8日の北朝鮮戦には累積警告で中田英、中村、三都主の3人が出られない。だが、幾多の大舞台を経験してきたジーコ監督はこう言い切った。
「こういう中でやってきて、アジアカップも彼らがいなくても勝てた。彼らの穴を埋める選手が全力を出して戦ってくれれば必ず勝てる」。
6月8日の北朝鮮戦は、バンコクの国立競技場で観客を入れずに行われる。3月に平壌で行われたW杯予選で発生した観客暴動事件で、FIFAが北朝鮮に課した制裁によるものだが、サポーター不在の東南アジアのスタジアムで、日本のW杯出場が決定しそうだ。