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ニッポンボランチの世界観。
text by
藤島大Dai Fujishima
posted2005/06/09 00:00
ボランチ。ポルトガル語の「舵」。あるいは「ハンドル」。しかし、もはや日本語なのかもしれない。いまボランチと耳にしたなら、ほら、森保一の懐かしい風貌が思い浮かんだりする。
ポイチこと森保一は、日本リーグのマツダ-Jリーグの広島-京都-広島-仙台、それにハンス・オフトの日本代表で「守備的ハーフ」から「ボランチ」の時代をひょいとまたいで生き抜いた。引退後は指導者の道へ。
その新進コーチが言った。
「まあ、ほとんどボランチですね。トレセンでもU-18でも。ポジションは?― みんなボランチだって。ボランチってなに……って感じもしますけど」
一億総ボランチですか。で、ボランチってなんですか。
「自分自身では守備的MF、ディフェンシブハーフと思ってました。とくに代表では守備が7で攻撃は3、あるいは8-2くらいに考えていたので」
13年前のキリンカップ。日本代表はアルゼンチン代表に0-1で敗れた。クラウディオ・カニージャ、ガブリエル・バティストゥータら南米選手権を制した重厚な布陣を向こうに順当な結果かもしれなかった。ただし、この試合には重大な発見があった。
森保一である。それまで姓が「森」で名が「保一(だからポイチ)」と誤って覚えられたりもした無印の好漢は、代表デビュー戦で、敵将バシーレとカニージャに称賛された。かいつまんで述べれば「日本にもよきボランチがいるではないか」。実際に「ボランチ」なる言葉は用いられなくとも、危機管理や攻守の均衡に心身を尽くす中盤の地味な働きに世界の光は当たった。ほどなく、そんな仕事は「ボ」で始まる響きとともに広く認められ、現在の隆盛にいたる。
山口素弘、名波浩、小野伸二、明神智和、稲本潤一、福西崇史、遠藤保仁、ひょっとすれば中田英寿ですら。なるほど、みんなボランチだ。我々の多くは、ボランチの勇士諸兄の仕事ぶりを敬うにとどまらない。きっと「ボランチそのもの」が好きなのである。
攻守・時間・地域のバランスを保つ。
危機と好機の予知。
滑らかな配球。
追う、ふさぐ。削り、奪い、当たる。
以上、ボランチに求められる主要な任務なら、それは「よきサッカーをする」ということにほかならない。おおむね世界の潮流にあってボランチは「センターハーフ」に吸収される。それでもなお日本における「ボランチ」は特別である。どこかロマンの気配すら投影されているようでもある。
あらためて森保コーチに確かめる。ボランチとディフェンシブハーフ、攻撃的か守備的かの差なのですか。
「僕の中ではニュアンスが違うというか。ボランチはヨーロッパのプレーメーカーのようなイメージがある」
ビハインド・ザ・ボール。オフト監督の掲げた標語のひとつである。森保一は「ビハインド・ザ・ボールの申し子」だった。ボール保持者の影となる。まずカバーリング。ついで攻撃の行き詰った際に後方でパスの受け手を務める。
「簡単そうですけど、これ、実際にやると難しいんですよ。ボールにつられて近づきすぎると次の局面で選択肢が狭くなる。相手が僕とボール保持者をいっぺんに見られる。あとは角度ですね。たとえば右サイドの選手がペナルティエリアの右隅あたりにいる時、真後ろにサポートに入るなと(オフトには)言われましたね。単純な話で、斜め後ろだとパスの選択肢が増えるからですよね」
ボランチとくればバランスである。当然、誰かが前なら自分は後方という均衡に注意を払う。平面での前後左右だ。「個人的にはダブルボランチでも役割がはっきり分かれてるほうがチーム戦術として戦いやすい。僕は守備、もうひとりはプレーメーカーというように」。ピルロとガットゥーゾ。ピアニストとピアノ運搬人。彫刻家と削り屋。
もうひとつのバランスは表と裏だ。そこには時間軸や人間の心理も関わってくる。
「自分たちが攻めてる時、相手の逆襲のポイントをケアしておく。前がかりにブレーキをかけて危なくなりそうなところに立ったり。逆に押し込まれていれば、まずその状況をしっかり受け止めて、どこで守から攻へ転ずるかを意識する」
ボランチは敵のボランチと戦うものなのですか。流れの引っ張り合い、とでもいうのか。
「あ、ありますよ」
森保一は、うれしいではないか、日本リーグの時代を例に挙げた。
「日産のエバートン(のちに横浜M-京都)とは、いつも走り合いするんですよ」
走り合い?
「どちらかが剥がれると、そこを起点として走り勝ったほうに流れがいくわけです。わざと空走りしてるな、そう思いつつもついていく。そして、こっちの攻撃局面に切り替わった瞬間、こんどは走り返す」
勝手に走らせてはいけないんですか。
「そう。どんどん走られると後ろがズタズタになる。バランスが崩れる。こぼれ球を拾えなくなる」
森保さん、足、ちょっぴり遅かったですよね。そこは考えるスピードで補う?
「サッカー、フライングのないスポーツなんでね。相手の走るコースに入っちゃえばね。ファウルをもらえたりして。まあ、いくらでも長所を消すことはできます」
昨今のボランチ志望者の増大に思ってしまうことがあります。ボールにはさわりたい。でもプレッシャーの少ないところで……。
「そこが間違いなんですよ。プレッシャーあるっちゅうねん。逆に考えれば、プレッシャーをかけないと。アルゼンチンみたいにどっからでもガツガツいかなくては」
山口素弘、36歳。
濃密なるボランチ遍歴。
死語にして普遍だな。ゾーンプレス。
36歳で現役、山口素弘は「ゾーンプレスの心臓」だった。あれはJリーグ開幕前夜、横浜フリューゲルスのモダンな戦術の具現者となった。そのまま加茂周監督のジャパンでもボランチを務め、'94年から'98年W杯まで濃密な代表歴を誇った。
ラインの伸縮機能を司り、中盤の構成図をひたひたと描く。落ち着いたパスさばき。ふいの得点感覚。老練な滋味たたえる現在まで「クール」の評価に揺るぎはない。
――ボランチの正体を教えてもらいたくて。ディフェンシブハーフとは違うんですか。
「まあ、サッカーそのものがコンパクトになって、昔の10番タイプがいなくなる。それで後ろからゲームを組み立てるようになった。以前はディフェンスだけ、相手のキーマンをつぶすような仕事が多かった」
――山口素弘のボランチ開眼は。
「(東海)大学時代、最初はオフェンシブなハーフだったんですが、当時の宇野(勝)監督から『攻撃だけじゃダメだ。両方こなせ』と。ひとつ下には澤登(正朗=清水)もいてオフェンスに力があった。自然に僕が引いてサポートするようになる。だから『ボランチ』という言葉を聞いた時に、ああそういうことだったのかと思いましたね」
――若き日の山口-澤登の自然なバランスは理解できます。しかしプロともなれば、それだけなのかなと。
「もちろん、ただカバーするだけでは、その選手がマークされます。そうすると自分が出ていく。いまの代表もそうじゃないですか。突然、福西が前へ出る。意外性ありますし、マークし切れない。それでゴール決めて、腹の中で舌出してるかもしれない」
――ゆずってばかりでは損だと思わないものですか。さりげないエゴの衝突というか。
「前へ行きたい。でも抑える。チームがうまく運ぶ。あ、俺が仕切ってるんだ。そういう満足はあるんじゃないですか。あいつが活躍できてるのは俺がこらえてるからだと」
――パスのさばきについて。仮にアレックスのようなタイプにひとまず球を預ける。その時、本当は『ここで渡しても抜け切れずに奪われるかも』と半分は読めている。それでも、あえてパスを送ることはありますか。
「それはありますね。さわりながらリズムをつくるタイプには。ちょっと、さわらせといてやるか、と。よくあるのは、その前の場面で仕掛けて失敗しているような時に『もういっぺん勝負してみ』という意味で渡す」
――そこでしくじっても長い目では成功する。
「そうですね。リズムが出てくる」
――判断の速度。たとえばラグビーではスクラムを組む時間に相手の陣形や心理を攻略するサインプレーを選ぶ。サッカーの場合、もう少し運動神経というか本能に近いような。
「ボランチの場合、ひらめきの余地を残しつつ、手順を踏む感じですかね。こう組み立てて、あいつからスルー、それが原則でも、たまには自分からも(スルーを)狙う余地を残しておく。前の連中は、ひらめきの割合が大きいと思います」
――いっぽうで野球の投手の捨て球のような布石も打つのでしょう。
「ありますね。わざと寄せるとか」
――あえて平凡なパスを続けておいて、ココというところで鋭くえぐることも。
「はいはい。そのへんが勝負かなと」
Jリーグ発足から積み重ねた経歴にあって、同じポジションの実力者との交錯は当然である。怒れる男、ドゥンガ。ブラジル代表主将を務めて、さらに磐田の地に熱血少年のごとき感情を発露させた。横浜フリューゲルスの同僚、サンパイオ。やはりセレソンの一員、こちらは春の微風のような表情のまま黙々と下働きをこなすのだった。
――ドゥンガ、何が凄いのですか。
「判断。駆け引き。ドゥンガのところでボールを奪いたいんだけど、それをさせない。さっとボールを散らす。それが気になると、こんどはゆっくり。こっちにとって嫌なところ、向こうにとって良いところに必ずいる」
――あんなに怒っても頭は冷静。
「非常にクールだったと思います」
――サンパイオは。
「日本人的ですよね。チームのために全力で貢献する。エゴイスティックな部分は皆無」
――そんなブラジル人が……。
「いたんですね。びっくりしましたけど」
――いまや山口素弘こそはドゥンガのポジショニングの実践者ではありませんか。いやらしい場所に常に立つ。
「ただ最近は、プレミアで、ランパードやジェラードが注目されてますけど、ボランチというよりセンターハーフですよね。非常にタフになってきた」
――システムに沿って激しく上下する。
「しんどさはありますよね」
いつかのゾーンプレスの王子、なお、しんどさを感じられる幸福よ。
ヤットこと遠藤保仁は、すでに鹿児島・桜島の「中学1年か2年のころ」にはボランチと発声していた。
「そのころにプロ(Jリーグ)ができたので、まあ、すぐに。ボランチ、もう頭にはありましたよね」
ガンバ大阪では、精密なパスを展開させて攻撃の起点に。日本代表なら、とことんバランスの軸として。25歳にして、いびつな凹凸とは無縁である。蹴ってよし、重労働を苦にせず、大舞台に神経の細るところがない。ディフェンシブハーフでもセンターハーフでもなく、ただいまの日本のボランチである。
――ボランチ=自分の顔が浮かびますか。
「それはないですけど、でも、ずっとやってきたポジションですし、まあミッドフィルダーではなくボランチかなと。高校(鹿児島実業)にブラジル人のコーチがきて、まったくのボランチ。話して練習するうちにボランチの大切さは感じてた。そのころから中盤の前の選手がゲームを仕切るという感覚はありませんでしたね」
――フリューゲルス入団。そこには山口素弘とサンパイオがいた。
「攻撃はモトさん(山口)、守備はサンパイオ、それを見て育ったんです。ふたりのおかげで、いまの僕はある」
――遠藤保仁=バランス。きわめつけのバランサー。そうした評価もしきりですが、さてバランスの実体とは。
「ダブルボランチでの上がり下がりはもちろんですけど、やはり11人の中のひとりだとすれば、全体を考えなくてはいけない。守備の時には攻撃のイメージを持つ。逆に攻撃の時は守備の意識を忘れない」
――バランス。バランス。バランス。たまにエゴイズムの誘惑は。
「うーん、ないですよ。感情を抑えるのには慣れました」
――やはり抑えたんですか。
「もともとは攻撃が好きだったので」
――ある選手がボールを欲しがる。パスを送れば雰囲気はよくなる。でも、かなりの確率で奪われるかもしれない。どうしますか。
「渡します。とくにサイドの選手は長い距離を走ってくる。ボールが出なかったら精神的にも体力的にも疲れますし。消極的でなく勝負してとられるのは問題ありません」
――判断の速度について。あらかじめのイメージに従うのか、瞬時のものなのか。どちら寄りなのでしょう。
「瞬間のひらめきと前もってのイメージが重なる場面が多いので。うーん、でも瞬時かな。こうきたらこうしようというイメージはある。ゆっくりしていれば誰でも問題はない。思いがけないところからボールがくる。疲れてくる。そういう時は、ひらめきですね」
代表ボランチ品定め。
そこに日本が見えてくる。
ボランチを切り取って語ってもらう。それこそは日本的なのかもしれない。プレミアなんてポジションの緻密な定義をすっ飛ばして、そこに、ただフットボーラーがいる感じだ。遠藤保仁は「日本人は頭がいいので」と笑った。「戦術理解度が高い。きっちりしている。国によってサッカーはまるで違う。僕は日本式でオーケーです」
――代表、遠藤保仁と組むとやりやすいという選手間の声はますます大きい。
「やりにくいよりはいいですけど。プレースタイルの似ている選手がいないからだと思います。僕がガチガチの潰し屋だったらフクさん(福西)と少しかぶる。まあ、僕としては、潰し屋がいてくれればありがたいです」
――遠藤-福西は機能していますよね。
「もし(小野)伸二と組むのであれば僕が守備にまわる機会が増える。それはそれでガツガツいきますけど、やりやすいのはフクさんや(中田)浩二。まあ慣れで変わってくるので時間があれば誰とでも。ずっと一緒にやってきた仲間ですし」
――稲本潤一とはガンバで組んだ。
「イナは前、前という気持ちが強いので、どうしてもそういうイメージはありますけど、(ふたりの)得点数はそう変わらないはずです。僕はボールをさわりたいので下がってフリーに。イナは自然に前へ。明らかなタテの関係はなかった」
――世界的に気になるボランチを。
「シャビ・アロンソ。逆にマケレレも」
さて、森保一による遠藤保仁評は。
「ピルロのような存在。プレーメーカー的ボランチですね。組む人がすごくディフェンシブであれば力を発揮する」
山口素弘はかつての後輩の才能と代表でのチャンスをこう語る。
「もともとミスが少なく、パスの精度は非常に高い。ジーコ監督を見ていると、バランスをとりながらミスの少ない選手をというつもりでいるんじゃないですかね。ものすごくそれを感じますね」
ちなみに両者とも福西崇史を高く評価した。
「ものすごい可能性。フィジカルの強さ、攻撃のセンス、外せないと思いますね。強い相手を想定すれば防波堤にもなれる。僕やったら福西と誰かを組ます。3-5-2なら小野伸二かな」(森保)
「非常にやっかいな相手。いちばん手ごわい。前も後ろもこなす。運動能力が高い。神出鬼没。いつの間にかペナルティエリアの中に入ってくる」(山口)
小野伸二。「スーパーですね。ゲームを読む力というのは」(森保)
ボランチ中田英寿。「できる。賢い選手ですから。ゲームの流れを感じ取ってポジションを見つけられる。体、強いですし。潰し屋もこなす。イラン戦もよかった」(同)
中田浩二。「非常にディフェンス能力が高い」(山口)
稲本潤一。「ダブルボランチでどっちもいけるよと。そこで活きる選手。前でボールにチャレンジさせたい」(森保)
ボランチ。日本のボランチ。当然、ひとくくりにはできない。ポイチ、モトさん、ヤット、それぞれが異なり、それぞれは似ている。
山口素弘は言った。
「試合が終わる。ゴールを決めた人間は気持ちがいい。ゼロで抑えたディフェンダーにも充実感がある。でもボランチは勝っても負けても反省ばかり。あそこはこうしておけばよかったって」