オリンピックへの道BACK NUMBER
日本レスリング界に息づく、
「八田イズム」とは何か。
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byPHOTO KISHIMOTO
posted2009/07/20 08:00
八田は、資金不足で高地トレーニングができなかった時に、選手にマスクをつけて酸欠状態でトレーニングをさせるなど創意工夫を凝らした
知人が驚いたように語った。
「あんなに厳しい練習をやる競技、ほかにあるんでしょうかね」
7月上旬、レスリング男子全日本チームが長野県・菅平で強化合宿を行なった。彼が驚いたその猛練習というのは、日本レスリング界の伝統のものであった。実際、数カ月におよぶあまりにも長い合宿さえ、過去にはたびたびあったくらいなのだ。
レスリング男子は古くから日本の「お家芸」と呼ばれてきた。柔道、体操と並び、世界で長年にわたりトップクラスに位置してきたのである。今日、女子が圧倒的な強さを誇っているのは周知の事実だが、男子は1952年のヘルシンキ五輪で初めて金メダルを獲得したのを皮切りに、計20の金メダルを積み重ねてきている。
奇抜かつ合理的な指導で選手を鍛え上げた八田一郎という男。
その礎を築いたのが、'46年から'83年まで日本レスリング協会会長を務め、強化の先頭に立ってきた八田一朗である。
八田の強化の仕方は、「八田イズム」といわれるように独特なものだった。「スパルタ」といわれるほどの猛練習に加え、「ライオンとにらみあって精神力を鍛える」「ハブとマングースの戦いに戦う魂を学ぶ」といった奇抜な練習エピソードが有名だ。
「根性主義」と評されたこともある。精神面の強化を重視していたのは間違いない。だが、あらためて振り返ると、きわめて合理的な面も持ち合わせていたように思える。
八田は当時、簡単には渡航のできなかったソ連への遠征を実現させるなど海外の強豪との交流を図り、他国の事情を研究し強化方法を模索した人だった。
また、海外で結果を出すために何が必要かを考え、時差対策、食事への対応も大会前に付け焼刃的に行なうのではなく日頃から指導し、マナーさえも重視していた。「人間として侮られると勝負の場でもなめられかねない」という考えがあったからだという。
そこからうかがえるのは、合理的な部分と、勝負の場で決して侮れない精神的な要素、その両面を捉えたうえで強化を図った指導者だったということだ。科学だけでも根性だけでも勝てないのは今日のスポーツにもあてはまることであり、八田が優れた指導者であったのはその結果が物語っている。
メディアに対して徹底的にオープンな姿勢を貫くレスリング界。
レスリングほど、協会も選手もオープンな競技は少ないのではないかと感じることがよくある。例えば、合宿に取材に行くと、信じられないほど出入りが自由であったり、「夕飯食べていけよ」と声がかかったりする。取材にも極力応じようとする姿勢は今も昔も一貫している。
八田は周囲からの期待が大きければ大きいほど選手のエネルギーになると考え、「批判も競技の普及につながると考えるくらいでなければレスリング界の発展は望めない」と語り、新聞記者にも「批判でもよいから書いてほしい」と要望していたという。今日のオープンな雰囲気もまた、今なお、八田イズムが生きていることを感じさせる一例である。