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監督もエースも退団で、好調ハンブルクに暗雲。 

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安藤正純

安藤正純Masazumi Ando

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photograph byBongarts/Getty Images/AFLO

posted2007/11/26 00:00

監督もエースも退団で、好調ハンブルクに暗雲。<Number Web> photograph by Bongarts/Getty Images/AFLO

 ヒディンク、ライカールト、ファン・バステン。少し前であればクライフ、そして開祖たるミケルス。日本との縁だったらオフト。まだ他にも相当いるのだが、オランダは代々、優秀な指導者を数多く輩出している。

 では、フープ・ステフェンスと聞いてどれだけの人がこの名前を知っているだろうか。実績の面では名将であるはずなのに、日本だと「ステフェンス? 誰、それ?」となり、完全にノーマーク、無名に近い存在である。

 ブンデスリーガでステフェンスは以前より、「堅実な仕事ぶり」と「結果を残す」ことで有名だ。引く手あまたの指導者として知られる。顔つきはちょっとどころか、かなり恐い(笑)。たまに笑顔を見せるものの、引き攣った表情になるので近寄り難い雰囲気が漂う。記者会見で意図のハッキリしない質問をした若い女性記者に、「お嬢さん、無事に家にお帰りなさいよ」と皮肉たっぷりに回答する場に立ち会った私は、つくづく彼女に同情したものだ。もっとも当人が若くて美人だったので、中年オヤジの個人的趣向が働いただけだけどね♪

 ステフェンスで忘れてならないのは、シャルケ04にUEFAカップ優勝をもたらしたことである。それも勝ち方がとてもニクいというかシブかった。ちょうど10年前、インテル相手にあのジュゼッペ・メアッツァでPK戦にもつれこんだ。ステフェンスはパソコンを開き、入力してあったデータを元にGKレーマンへPKキッカーの予測コースを指示、これが結果を左右したのである。

 結局、シャルケではDFBカップ連覇('01年、'02年)とリーグ準優勝('01年)を置き土産にした。その後はベルリン、ケルン(一部に昇格させた)、ローダと渡り歩き、今年2月、沈没寸前だったハンブルガーSVにやってきたのだが、ここでも見事な仕事ぶりが発揮される。なんと残り15試合を9勝3分3敗で乗り切ってチームを最下位から7位に押し上げただけでなく、UIカップを勝ち進み、UEFAカップ出場まで漕ぎつけたのだ。今季は13節現在、同勝点の3位。首位バイエルンとは勝点1差である。

 しかしハンブルクの好調ぶりはステフェンス一人の功績ではない。もう一人忘れてならない人物がいる。それが同じオランダ人のMFラファエル・ファン・デル・ファールトだ。

 今季3位はラファの活躍に負う部分が大きい。'05年に移籍後、HSVはラファ中心のチームへと変革されてきた。母国では中盤の1枚の駒にすぎないが、HSVではトップ下で十分なスペースを与えられ、自在に攻撃陣をリードしている。本人が昔からもっとも得意としているポジションである。

 特筆すべきは得点能力だ。それも、「ラファが得点すれば試合に勝つ」方程式が出来上がっていることである。リーグ戦で7試合連続ゴールを上げ、ウーベ・ゼーラー会長が持つ同じ記録に43年ぶりに並んだ。ラファにはステフェンスも最大級の感謝の気持ちを表している。

 というわけで、HSVの躍進の源泉はこの2人に凝縮されるのだが、物語はハッピーエンドばかりじゃない。ここから第二幕が始まるのである。

 何と先週、ステフェンスが突然「今季でチームを去る」と発表したのだ。HSVは契約を当然延長するつもりだったが、ステフェンスにはどうしても母国に帰らなければならぬ理由があった。実は妻が数年前より癌を患っていて、年明けにも新たな手術が行なわれる。ケルン時代から看病のために両国を往復する生活を続けていたが、入院先(アイントホーフェン)に近い職場ということで、妻の看病を考えてPSVの監督に就任することにしたのだ。

 これにはHSVの選手もショックを隠せない。「せっかくこれだけいいチームに成長したのに」という気持ちだろう。

 さて、第三幕はまだ書きあがっていないが、おそらく予定通りの筋書きになるはずである。ラファのバレンシア移籍がそれだ。

 ラファは日頃から「スペインでやってみたい」と公言してきた。8月、バレンシアから1200万ユーロ(約20億円)のオファーが届いた。飛び上がるほど嬉しくなったラファは、わざわざバレンシアのユニフォームを着た姿を写真に撮らせたほどだ。だがHSV側は移籍を認めず、2010年以降もクラブに留まるよう説得工作を今も懸命に行なっている。

 なにしろラファがいるといないとではチームの成績が全然違うのだ。統計を調べてみたら、最初のシーズン(05−06)、ラファがプレーした試合で勝点の平均は2.3、ラファ抜きの試合は1.6だった。翌年、その差はさらに広がった。26試合で決定的な働き振りを見せ、彼のゴールが貢献して10試合で勝利を得た。ちなみにラファ抜きでの勝点は0.75に落ち込んだ。今季これまで8勝3分2敗、得点20のチーム成績がどの選手によってもたらされたかは改めて説明する必要もない。ラファの7試合連続ゴール(計8点)の賜物だ。

 バレンシアにラファは早ければウインターブレーク中に、遅くても来季には移籍するはずだ。仕方ない、それも運命である。ラファの実母はスペイン人だ。バレンシアのクーマン監督はPSVで選手・監督として大成功した。そこへ今度はステフェンスが乗り込む。こうした構図は、オランダが欧州サッカーの1つの大きな軸であることを表している。残念なことに、ハンブルクはそのトバッチリをまともに受ける。チームの好調ぶりもはや今季で幕が下りるだろう。

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