カンポをめぐる狂想曲BACK NUMBER
From:東京「美味しい試合はいずこに。」
text by
杉山茂樹Shigeki Sugiyama
photograph byShigeki Sugiyama
posted2007/04/03 00:00
最近あったA代表とU-22の試合。
食欲を掻き立てる風味はまったくなかった。
勝っただけで騒いでいていいのだろうか。
食欲の……「春」とは、あまり言わないけれど、僕の食欲は桜の季節を迎えたいま、最高潮に達しようとしている。
欧州から帰国して早々、名古屋で食べたコーチンがまず何と言っても素晴らしかった。老舗レストランの個室席という舞台設定も輪を掛けたのだけれど、まさに絶品。フレッシュでジューシー。口にした瞬間、言葉は失われた。
胃袋と味覚のハードルを、すっかり上昇させてしまった僕は、以降、かなりの頻度で美味しいモノを食べている。そうせずにはいられない身体になってしまったようだ。昨日は、ヒマに任せて千駄木の韓国焼き肉屋まで、千代田線を使って遠征してきた。馴染みのサッカー系カメラマンが、大量に集うというので、だったら、僕が行かなきゃ宴は盛り上がらないだろうと、勝手に使命感に燃えてみたわけだ。というのは半分冗談で、上等なお肉が、お値打ちの料金で食べ放題だと、前回のコラムで紹介した「世界満腹紀行」の筆者であるKカメラマンから耳にしていたからである。
しかし、それにしてもKは良く食べる。隣に座ってみて改めて驚かされた。僕がちょっとばかり、逆隣りの人と話し込んでいたわずか1、2分のことだった。気がつけば、僕が注文した冷麺は、すっかり空になっていた。Kの仕業に他ならない。
しかし彼は、単なる大食いではない。味にはとてもうるさい。元コック。舌には絶対の自信を持っている。その彼が推すお店なので、30分近くも電車に揺られてやってきたわけだが、ワクワク感を裏切らない味だったことは確か。お得感は十分だった。千代田線千駄木駅から徒歩3分。「済州島」はお勧めだ。
もちろん、旨いものを食べているばかりではない。キチンと取材現場にも顔を出している。横浜国際にも、国立競技場にもワクワク、血湧き肉を踊らせながら足を運ばせた。しかし正直言って、フル代表とU-22の国際試合はそれぞれ、上等な料理とはいえなかった。
ペルー戦。相手はわずか15人。欧州組もゼロ。ペルー人選手といわれて即連想する、ファルファン、ピサーロ、ゲレーロの3人は、もちろんメンバーに含まれていない。そのうち2人は、チャンピオンズリーグで勝ち残りを決めている選手だ。セルティックの敗退が決まったために、帰国が叶った中村俊輔とは逆パターン。彼ら2人が来日しないことは、俊輔の招集が決まった瞬間から、明白になっていたはずだ。しかし、そうした相手側の事情について、メディアはどれほど積極的に触れようとしただろうか。中村俊輔報道の過熱と、試合への期待値とは本来、反比例の関係にあったはずだが、それは伏せられたまま本番に臨むことになった。評判のレストランに入ったら、まったく期待外れだったという話とほぼ同じだ。
記者会見でオシム監督は「肉でも魚でもない料理だ」と試合の内容を表現した。良くない試合だという意味らしい。肉や魚の前に、野菜好きである僕にとっては、100%賛同できかねる表現ながら、試合を料理にたとえるセンスそのものには、好感を抱かせる。オシム監督も食欲の「春」を満喫したいクチなのだろう。
だが僕と彼は立場が違う。オシム監督は料理をサーブする側の人物だ。サッカーゲームは相手がいて初めて成り立つものなので、味についての責任を、彼にすべて背負うことには無理がある。50%程度で十分なのだけれど、評論家っぽい言い回しをするのはいかがなものか。「肉でも魚でもない」は、どこか他人事のような匂いが感じ取れる言葉だ。
オシムはまた、中村俊輔について、それなりに辛辣な感想を述べた。少なくとも、スポーツニュースやスポーツ新聞の報道との間には、著しい開きがあった。オシムは「良くなかった」と言っているのに、どうして万歳!と、はしゃがなくてはならないの?僕には疑問でならない。最初からできあがったストーリーをなぞるかのような報道ぶりだ。「良くなかった」の方が、遥かにニュース性が高いと僕は思うのだけれど。
そもそもオシムは、中村俊輔を招集したかったのだろうか。外圧に推されて仕方なく……という気配を、僕は言葉の端々に強く感じた。「肉でも魚でもない」も、その一つ。主義から外れた食材を使ってお出しした不本意な料理について「ほら不味かっただろ」と言ったような格好だ。自らの作品に、冷めた目線を送ることは、けっして健康的な姿ではない。
国立競技場で行われたU-22のシリア戦も、不健康を地でいくような、とても不味い試合だった。一言でいって、シリアは酷かった。コンディション不良は明白だった。シリアの来日は、試合の前々日。時差ボケに悩まされ、丸3日間寝ることができなかった選手もいたという。勝つ気がなかったといわれても仕方がない。
だが僕にはそれが、思いのほか賢明な姿に見える。グループリーグで2位以内に入れば、決勝トーナメント進出は叶うわけだ。無理に首位通過を狙わなくてもという感覚が、シリア側に見て取れたことは確かである。
国立競技場に詰めかけた観衆は1万8千人だった。1万1千人の香港戦よりマシだったとはいえ、閑古鳥が鳴くとはこのことを指す。だが、僕にはこの姿がとても健全に映る。この状況をもっともらしく心配する人の方が、むしろ怪しく見える。
そもそも五輪だ。五輪のサッカー競技がどの程度のモノかを理解するファンは、4年ごとにそれこそ倍々の勢いで増えている。3年前のアテネ五輪。日本が戦った3試合は、ほぼ無観客試合同然の入りだった。そこでの勝ち負けが、どれほど重要だというのか。同時に「アテネ経由ドイツ行き」なるキャッチフレーズを、ふと思い出すが「北京経由南アフリカ行き」が、いま流行りそうなキャッチだとはとても思えない。U-22の中で、可能性のある選手は、すでに代表入りしているのだから。
ペルー戦もシリア戦も、ミスマッチの部類に入る。それについて大真面目に語っていないと間が持たないのが、日本のサッカー界の実態だ。本当に美味しい飯を食べたいファンにとってそれは、辛いメニューと言わざるを得ない。ストレスは募るばかりだ。これもまた、食欲の追求に走らせる理由なのか。
例えば美食には、Kカメラマンにおうかがいを立てれば、いつでもありつくことができる。しかし、サッカーの場合はそうはいかない。探し当てることは難しい。そこに僕は、とてつもない夢を感じているのだけれど……。