Column from EnglandBACK NUMBER

そしてセンターフォワードはいなくなった 

text by

田邊雅之

田邊雅之Masayuki Tanabe

PROFILE

photograph byFor Picture/AFLO

posted2007/04/02 00:00

そしてセンターフォワードはいなくなった<Number Web> photograph by For Picture/AFLO

 プレミアの3チームがCLの準々決勝に登場するのは嬉しいが、アーセナルが16強で消えたのは同じくらい残念だった。特別な思い入れがあるからではない。最近のアーセナルは、とても面白いサッカーをしていたからだ。それは一言でいえば“トップレス(センターフォワードに依存しないサッカー)”ということになる。

 きっかけとなったのは昨シーズン、ビエラやエドゥ等の主力が移籍したことだった。チームは中盤の穴をファンペルシやファブレガス、フレブで埋めようとしたが、若手主体で戦えるほどCLは甘くない。ベンゲルは攻撃力が落ちるのを覚悟の上で、システムを4−5−1に変更せざるをえなくなった。

 ところがこれが吉と出る。戦力が落ちたはずのアーセナルは、とんとん拍子にトーナメントを勝ち進み、最後はバルサとファイナルを戦った。

 快進撃はなぜ可能になったのか。理由ははっきりしている。4−5−1といってもアンリはトップに張り付いていなかった。それどころか中盤に下がってボールを受け、自ら攻撃を組み立てていくという“自給自足”をこなした。似たような変化は守備の面でも起きている。ビエラが移籍したダメージを最小限に抑えるべく、アンリはMFと一体になってプレッシャーをかけるようになった。

 たしかにシステムは4−6−0のようになってくるが、「6」がきちんと機能すれば、これはこれで攻守の強力な武器になる。急場しのぎとはいえ、中盤以前の選手が完璧に連動する新しいスタイルは、アーセナルに光明をもたらした。

 このような一連の変化を目の当たりにして思い出したのは、ベルカンプのコメントだった。2004年1月のインタビューで、彼は次のように「予言」している。

 「ティエリーは超一流のストライカーだけど、クロスを上げることもできれば、トップ下でチャンスを作り出すこともできる。それだけじゃない。守備に回ったときには、MFの位置まで下がってバックアップに回るし、そこからパスを出したりドリブルをしたりして攻撃も仕掛けられる。しかもこういうプレーを、試合の間中続けることができるんだ。

 これからはセンターバックを除く選手全員が、フレキシブルに動きながらプレーすることが求められる。ティエリーはいろんな意味で未来のサッカーを体現している」

 今シーズンのアーセナルは4−4−2に戻ったが、トップレスの状況は続いている。とはいえ主体的な選択の結果ではない。今年はなんとアンリが故障。アリアディエールやアデバイヨールは彼の足元にも及ばないため、ベンゲルはまともなストライカーが一人もいない状況に追い込まれた。いかに新しいスタイルを見出したといっても、これではさすがに限界がある。そして案の定、アーセナルはPSVに負けてしまった。

 しかし、トップレスの灯はCLから消えていない。アーセナルに一脈通じるチームは確実に現われてきている。

 筆頭格として挙げられるのはローマだ。モンテッラがフルハムに移籍したために、現在はトッティが“センターフォワード”を務めている。アーセナルのストライカーが中盤に下がったのと逆に、ローマの「10番」はワントップに上がった。

 しかも今年のローマの中盤は、アーセナルよりも連動性が高い。リヨンとのファーストレグは壮観だった。中盤のオープンプレーでも、TVのモニターには15、6人ものフィールドプレイヤーが映っている。これは相手のリヨンも同じようなスタイルを志向していたからだが、組織力と運動量はまさに驚異的だ。

 ローマと対戦するマンUでもトップレス化は進んでいる。ルーニー、ロナウド、サハの3枚看板が展開する攻撃は、ニステルローイが最前線に鎮座していた頃よりも、はるかにスピーディーでスリリングになった。

 そして最後はリバプール。ベニテスはイングランド式の4−4−2とスペイン流の4−5−1を使い分けるが、古典的なセンターフォワードには頼っていない。ベラミーとカイトの本職は、あくまでもウィングである。

 これらのチームに比べると、センターフォワードに依存しているチームは非常に古ぼけて見える。それどころか、実際にCLで結果を出すこともできていない。その悪しき例がレアルであり、インテルだろう。ミランやバイエルン、チェルシーは生き残っているが、やはり凄みや魅力は感じられない。ミランなどはジラルディーノやインザーギに頼るよりは、いっそのことカカをトップに持ってきた方が、ずっと怖いチームになるのではないかとさえ思える。荒唐無稽な意見だと笑うなかれ。ローマはそれと同じことをやって成功している。

 もちろん、優秀なストライカーが不要だと言うつもりはない。リヨンやリールの攻撃陣にもう少しだけ切れ味があれば、ローマやマンUに一泡吹かせることができた可能性はある。アンリの不調はしょうがないとして、せめてファンペルシだけでも使えれば、アーセナルがPSVに振り切られることもなかっただろう。攻撃がセンターフォワードに頼らないということは、中盤よりも前に位置する全員が、一流のストライカーでもなければならないということを意味するからだ。

 ただし優れたストライカーはエゴや個性も強い。ともすれば個人プレーに走りがちになる。では攻撃力の保持と選手の連動性は、どう両立させればいいのだろうか。答えはすでにモウリーニョが出している。それは「センターフォワードをチームに完全に埋没させる」というアプローチに他ならない。

 ドログバは驚異的なストライカーだが、以前のモウリーニョは、彼を単なる「コマ」として扱っていた。ドログバがどれだけ「埋没」していたかは、'04−'05シーズンのチーム得点王がランパードだったことからもわかる。それでいてチェルシーは恐ろしい破壊力を秘めていた。一流のFWをそろえた上で“トップレス”を徹底していけば、巡り巡って“トップフル(FWやMFが一体となって分厚い攻撃をしかける状況)”になるというわけだ。

 ロッベンは当時、こう証言している。

 「チェルシーにはベッカムもロナウドもいない。モウリーニョがそういう選手を獲得することを拒んだんだ。チェルシーには一流の選手がいるが、彼らは“スター”じゃないし、スターらしくふるまおうともしていない。誰もがみな、死に物狂いでやっている」

 その意味で、今シーズンのチェルシーにシェフチェンコとバラックが加わったのは明らかに「後退」だが(ドログバの活躍はチーム力が低下した証拠である)、センターフォワードを埋没させていくモウリーニョの手法は、守備ができないFWは不要だという考え方も浸透させることになった。関連して言えば、サッカーのトップレス化は、「守備的か攻撃的か」という議論も不毛なものにした。もはや“守備が堅いチーム”とは、選手が引いて守るいわゆる“守備的なチーム”を示さない。マンUに象徴されるように、むしろ前線からアグレッシブにプレスをかけるチームの方が、失点は少なくなってきている。

 今シーズンは戦術の傾向性が見えにくいといわれる。4−3−3で旋風を巻き起こしてきたモウリーニョとライカールトの旗色が共に悪いとあって、なおさら閉塞感は強い。だがどんなに停滞しているようでも、サッカー界は着実に進歩している。

 果たしてマンUやリバプール、ローマのようなチームが勝ち上がって、新しいトレンドを後押しするのか。あるいはチェルシーやミラン、バイエルンのような旧世代が力技で押し切ってしまうのか。CLをそういう視点から眺めるのも一興だろう。これは日本代表にとっても無縁の話ではないのだから。

#アーセナル

海外サッカーの前後の記事

ページトップ