チャンピオンズリーグの真髄BACK NUMBER
日本代表とチャンピオンズリーグ。
text by
杉山茂樹Shigeki Sugiyama
photograph byMutsu Kawamori
posted2007/08/24 00:00
ザルツブルグがホームでシャフタール・ドネツク(ウクライナ)を1−0で下せば、セルティックも、スパルタク・モスクワ(ロシア)とのアウェー戦を1−1で乗り切った。
チャンピオンズリーグ予備予選3回戦。ザルツブルグがこれを突破し、本選出場を果たす可能性は約50%。セルティックの場合は約60%。それぞれにとってファーストレグの結果は、まずまずだったと言える。
1人なのか、2人なのか、3人なのか。はたまた0人なのか。今季のチャンピオンズリーグに出場する日本人の数は、日本サッカーにとって、とても重要な問題だ。それは世界に日本サッカーを発信するこの上ない機会になるからだ。数が多ければ多いほど、その認知度は高まる。今月29日に行われるセカンドレグの結果はいかに。
もし出場権を得れば、中村俊輔は2年連続、三都主と宮本は初出場になる。ザルツブルグの2人にとっては、選手としてのハクを付けるまたとないチャンスが巡ってきたわけだ。日本代表では現在、ともにメンバーから外れている。浦和レッズ時代にはオシムジャパンの常連だった三都主は、近い将来、代表復帰を果たしそうな雲行きだ。
9月のオーストリア遠征には招集されるだろうが、宮本はどうだろうか。少なくともガンバ大阪時代に、オシムから声を掛けられたことはない。ジーコジャパンが終わりを告げるや、日本代表とは縁遠い存在になってしまった。
メディアも全般的に、それを積極的に問題視していない。オシムのチョイスに対し、違和感を抱く様子はない。「恒様」と称し、持ち上げまくったそれまでが嘘のような、一転して温かくない態度を決め込んでいる。宮本の代表復帰は、もはやあり得ないという認識で一致している様子だ。僕が恒様なら……人間不信に陥りそうな仕打ちに思える。彼自身もそうであることは、想像するに難くない。
予備予選の3回戦、シャフタール・ドネツクとのホーム戦で、宮本は堂々スタメンを飾った。170センチ代前半の小兵にもかかわらず、セカンドレグでも、先発スタメンが確実視されている。恒様の意地を感じずにはいられない。チームがもしセカンドレグで、引き分け以上の成績を収め、本選出場を果たしたら、オシムもオーストリア遠征のメンバーに、加えざるを得ないだろう。
そのうえ彼は、最終ラインの選手だ。もしスタメンを維持すれば、彼は最低6試合、名だたる世界的ストライカーと、対峙することになる。かけがえのない財産になること請け合いだ。
すなわち、そのチャンピオンズリーグ本選出場は、代表復帰を意味している。また、そうであるのが筋だと思う。大多数のメディアに代わり、いまこそ「恒様、頑張れ!」と、声を大に叫びたい気分である。
もう一人の三都主にも、判官贔屓の虫が疼く。ジーコジャパン時代、ほぼ皆勤だった不動の左サイドバック。オシムジャパンでも同様だった実力者だ。しかしどういうわけか、待望する声は思いのほか少ない。過去の選手に成り下がってしまった様でさえある。いったいどうして?
彼に向けられた理不尽な指摘も思い出す。守備に回ると「三都主の裏は危ない」と叫ばれ、攻撃に転ずると「三都主は抜けない」と、叫ばれた。これでは「抜けない、守れない」ダメ選手という話になる。ザルツブルグでもそうなのだろうか。一定の評価を得ている現実と、それは相反する評価になる。
日本ではなぜ、守れなくて抜けない選手に見えたのか。その答えはチャンピオンズリーグの戦いの中に、ぎっしり詰まっている。サイドバックが攻め上がらない限り、サイド攻撃が成り立ちにくい我が国のサッカーの特殊性も、たちどころに明らかになるのだ。重労働を課しすぎているその構造的矛盾が、浮き彫りになる。先のアジアカップなどは、その端的な例になる。
中村俊輔のプレイと、それは深い関係にある。セルティックで見せるそのプレイと、アジアカップで見せたそのプレイとの間には、大きな隔たりがある。セルティックでは、サイドで構える時間が長いが、日本代表では、内に絞る時間の方が長い。同じ布陣で戦っているにもかかわらず、だ。
サイドバックにとって、どちらが辛い環境かといえば、間違いなく日本代表の方だ。サイドに伸びる縦の廊下を、一人でカバーしなければならない宿命を課せられている。チャンピオンズリーグを見ていると、日本のサイドバックが、とても哀れに映る。その好ましからざる「中盤サッカー」は、サイドバックの重労働に支えられているといっても言い過ぎではない。「三都主、頑張れ!」と、叫びたくなる所以だ。
宮本、三都主が、チャンピオンズリーガーに昇格する確率は、繰り返すが50%だ。シャフタール・ドネツクはそれなりに強い。「頑張れ!」の願いが通じるかは、かなり微妙。そこがまた面白いところではあるのだが。