今週のベッカムBACK NUMBER
ジダンはベッカムの2倍の価値がある。
text by
木村浩嗣Hirotsugu Kimura
photograph byAFLO
posted2004/02/26 00:00
「ジダンはベッカムの2倍、素晴らしい」。私はこう断言することに躊躇しない。
ベッカムとジダンの差は、その移籍金の差に表れている。レアル・マドリーがジダン獲得のために払った約7800万ユーロは、ベッカムのそれ(約3500万ユーロ)の2.2倍。サッカー選手としての価値の差を数字に置き換えるとすれば、この約2倍はちょうどいいくらいに思える。ベッカム2人とジダン1人の交換トレードが成立すると考えてもいい。
ベッカムは素晴らしい選手だと思う。そのファイティング・スピリッツ、世界一のフリーキック。10 メートルの爆発的なダッシュ、リズムチェンジでロナウドは世界最高のフォワードの1人だ。ロケットのような左足のシュート、スピードと持久力でロベルト・カルロスの右に出るサイドバックは世界に存在しない。調子のいい時のフィーゴのドリブルも超一級品だ。ラウールがスペイン史上最高の選手なのは疑問の余地がない。
しかし、「誰がレアル・マドリー最高の選手か?」、と問われれば、私は即座にジネディン・ジダンを選ぶ。「世界最高の選手か?」、と問われても答えは変わらない。
生で見ていないペレ、ディステファノとクライフ、サッカーを知らない時に見たマラドーナらと比較して、「歴代最高の選手だ」、と言い切る自信はないが、ジダンが現在、世界最高の選手であることには、これっぽっちの疑いもない。100%間違いない。大金でスターを買い漁るレアル・マドリーのやり方は気に食わないが、ジダンを獲得し2007年まで契約更新してくれたフロレンティーノ会長には、「ありがとう!」と素直に頭を下げたい。
サッカー選手における天才とは、以前のコラム(『天才に囲まれてプレーする喜び』)で述べたとおり、私はプレーの精度だと思っている。天才の中の天才ジダンはその点、むろんナンバー1である。
足の甲、裏、アウトサイド、インサイド、つま先、くるぶし、かかと、太もも、胸。ルールで許されたすべての体の表面を使ったボールタッチ、パス、シュート、コントロール、ドリブルの精確さは、並のプロ選手が子供に見えるほどの差がある。唯一、ヘディングが苦手だと言われているが、それでもフランスワールドカップ決勝、対ブラジル戦での2ゴールは素晴らしかった。
この精度を支えているのは、私は驚異的なボディーバランスとコーディネーション能力だと思う。コーディネーション能力とは、「走る」、「ジャンプする」、「蹴る」、「体を回転する」など複数のアクションを組み合わせる能力のこと。サッカーに限らずスポーツでは非常に大切な能力だ(私は少年チームの監督をしているが、コーディネーション能力のエクササイズは毎回必ず取り入れている)。
たとえば、あの有名なチャンピオンズリーグ決勝バイエル・レバークーゼン戦での左足のボレーシュート。スローモーションで見ても、「パスを目視→左足を引いて構える→ボールの打撃→フォロースルー→足を着地する」という複数の動作の間に、頭から軸足を貫く、いわゆる「体の軸」が一瞬たりともぶれていない。
ジダンのプレーがバレーの優雅さにたとえられるのも、ボディーバランスとコーディネーション能力と無関係ではない。尻餅をつくバレリーナがいないように、ジダンは転ばない。トップスピードだろうが、片足だろうが、ジャンプしようが、ジダンはみっともなく引っくり返ることはめったにない。
これは実は大変まれなことだ。サッカーの試合ではプロレベルでも、飛び込んでのシュートや足を精一杯伸ばしてのインターセプトなど、ぎりぎりのプレーになるほど選手は転ぶ。ほんのちょっとボディーコンタクトがあっただけで、腰砕けになり、足をもつれさせ、あっちでゴロン、こっちでゴロンとなる。
が、ジダンは不動だ。少々のプッシングでは、足を広げ、腰を落とし、手を広げたジダンの体を揺らすことさえできない。たとえば、彼のトラップをスローモーションで見ると、体はまったく動かさず、足のつま先や甲だけをチョンと当て、ボールをやわらかく着地させる。動きに無駄がなく、“ノイズ”(不要な目線や軸のぶれ)がない。
唯一の欠点は、最小限のボディアクションを使った彼のプレーは、時に派手さがなく、アクロバチックに見えないことだろうか。難易度の高いプレーを簡単にやってみせる、ジダンの凄みを堪能するには、しばしばスローモーション再生の助けが必要だ。
もう1つ、少年チームの監督という立場から言うと、私はジダンの教育効果にも注目している。
彼が例の“マルセイユ・ルーレット”を披露してから、私のチームでもあれを真似する子が出てきた。日本にいる友人の監督に聞いたら、彼のチームでもマルセイユ・ルーレットが大流行だという。『学ぶは真似ぶ』。子供はアイドルの真似をして上手くなる。ジダン本人は、極端に内向的な性格だから監督になるつもりはないらしいが、プレーのお手本になるだけでも大きな貢献だ。毎週、スポーツ番組で何度もスロー再生される彼のプレーは、大袈裟ではなくスペインの少年サッカーのレベルを上げている、と私は思う。
こんなジダンだが、グラウンド外では脚光を浴びることはない。
ゴシップメディアの横綱はベッカム、グティ、ロナウド。大関はラウール、フィーゴ、ロベルト・カルロス。彼らとのフィエスタや夜遊びをひたすら避け、ジダンはベロニク夫人と3人の子供と過ごすことを選ぶ。元ダンサーの夫人も“ 銀河系の妻たち”とショッピングやディスコへ繰り出すこともない。“バレリーナ”ジダンとダンサーのベロニクの間に生まれた子なら、さぞかしボディーバランスのいい天才サッカー小僧だろうか、と想像するが、ジダン2世がメディアに登場することはない。このジダンの例がある限り、ベッカムやロナウドがいくら「プライバシーの侵害」を叫んでも、リアリティーに欠ける。もしメディアに出たくなければ、ジダンの真似をすればいいからだ。
グラウンドで最も優雅なプレーをする男は、その外では最も控え目だ。外で派手だが、グラウンドでは汚れ仕事に徹するベッカムとは対照的だと言える。金髪で美形のベッカムには女性ファンの黄色い歓声が上がるが、頭髪の寂しいジダンには玄人筋の野太い声援が集まる。しかし、ベッカムが泥だらけになってインターセプトしたボールを、ジダンが踊るようにエレガントにゴールネットに送り込む――こういうプレーを見せられると、「サッカーは公平だ」、と妙に安心させられるのだ。