MLB Column from WestBACK NUMBER
フィリーズを率いる“赤鬼”。
text by
菊地慶剛Yoshitaka Kikuchi
photograph byAFLO
posted2007/08/16 00:00
「日本で学んだ打撃技術も大きかった。自分は内角の打ち方をおぼえた。アメリカに戻って打撃コーチをやっていた時も、そのやり方で内角打ちを教えてきたよ」
現役時代のマニエル監督は、将来自分が監督やコーチになるなんて考えてもいなかったという。しかし米国に戻ったマニエル監督は「自分が培った経験、技術を他の人たちと分かち合いたくなった」ことで、1982年ツインズのスカウトに就任した。
そして翌1983年に1Aの監督職に就き、その後2Aで2年間、3Aで6年間実績を積み(1992年にはパシフィックコースト・リーグで最優秀監督に選出)、1994年にインディアンズの打撃コーチとしてメジャー昇格を果たした。さらに2000年からは3年間インディアンズで監督を務め、2004年にフィリーズのGM補佐に就任し、翌2005年から監督に復帰していた。
これまでマニエル監督は、マイナー9年間、メジャー5年間の監督生活の中で負け越したシーズンはたった3回しかなく、メジャーではシーズン途中で解雇された2002年以外フルシーズンではすべて勝ち越している。
「日本では若い頃からどうやってプレーしなければならないのか教え込まれるが、アメリカでは大学生でさえも才能はあっても打つことと投げることしか知らない。もちろん日本での経験は役に立っているし、マイナーでの9年間も大きかった。だが自分の回りには、いつも教え甲斐のある才能溢れる選手がいてくれた。幸運だったんだろうね」
やや謙遜気味に話してくれたマニエル監督だが、彼以外にも元巨人で活躍したデイビー・ジョンソン氏、中日で優勝に貢献したケン・モッカ氏らもメジャーの監督として成功を収めた助っ人外国人組だ。
最近ではメジャーやマイナーで監督、コーチを務める元助っ人外国人は後を絶たない。マニエル監督は、今後も彼らに続く助っ人出身のメジャー監督が登場するだろうと断言してくれた。