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フィリーズを率いる“赤鬼”。 

text by

菊地慶剛

菊地慶剛Yoshitaka Kikuchi

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posted2007/08/16 00:00

フィリーズを率いる“赤鬼”。<Number Web> photograph by AFLO

 まず冒頭で2人の選手の近況報告をしたい。

 前回登場のフリオ・フランコ選手。ブレーブスでもウェーバーをクリアしてチームに残留し、現在はロースター枠拡大が行われる9月以降のメジャー再昇格を待ち、アトランタ近郊のローマという街にある1Aのチームで調整を行っている。

 もう1人は開幕直前に取り上げた、打者転向を目指して奮闘していたリック・アンキール選手。こちらは3Aでの活躍(パシフィックコースト・リーグで本塁打部門1位の32本を記録)が認められ、ロースター枠拡大を待たずに打者としてメジャー初昇格を決めた。昇格初試合で本塁打を放つなど打者としても大物ぶりを発揮、田口壮選手の公式サイトの日記によると、地元ファンからも大層な歓迎を受けたようだ。

 さて、7月にフィリーズにトレードされた井口資仁選手だが、ここまで井口選手は、右手骨折のため長期戦線離脱を余儀なくされたチェーズ・アットリー選手の穴を見事に埋める活躍を続けている。現在地区優勝とワイルドカード争いを続けているフィリーズにとって本当に心強い戦力になっており、首脳陣はアットリー選手が復帰後も、守備位置を変更してでも井口選手を起用し続ける方針を打ち出しているほどだ。

 そんなフィリーズを率いているのが、日本でもお馴染みのチャーリー・マニエル監督だ。とはいえ、助っ人外国人として日本での彼の現役時代を知るのは我々中年世代以降の人に限られてしまうだろうが、“赤鬼”の愛称で親しまれたマニエル監督こそ、自分にとって今でも史上最強の助っ人外国人だ。

 1976年からヤクルト→近鉄→ヤクルトと6年間在籍し、1978年にはヤクルトの日本一に、さらに1979〜80年には近鉄のリーグ連覇に貢献。個人的にも1979年に本塁打王、1980年には本塁打、打点の二冠王を獲得している。しかし何といってもマニエル監督の功績の素晴らしさは、セ・パ両リーグでそれまで一度も優勝経験の無かった2チームを初優勝に導いたこと。もちろん彼無しでは両チームともに優勝を勝ち得ることはできなかっただろう。

 そんな日本で経験した6年間が、実はマニエル監督にとって人生の転機になったようだ。

 「日本に行くまでは自分は典型的なアメリカ人選手だった。一言で表現すれば“怠け者”だった。それが日本での日々の流れを体感することで、練習することの大切さを学ぶことができた」

 さらにマニエル監督の話は続く。

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