オリンピックへの道BACK NUMBER
39歳にして五輪代表の座を掴んだ、
ジャンプ岡部孝信の揺るぎなき信念。
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byAtsushi Tomura/AFLO SPORT
posted2010/01/19 10:30
1994年のリレハンメルで初めて五輪に出場し、以来コンスタントに活躍し続けてきた岡部。たび重なるレギュレーションの変更には泣かされているが、バンクーバーでは雪辱なるか!?
「今できる、自分のジャンプができました」
39歳の大ベテランは、穏やかに、こう話した。
1月10日、スキー・ジャンプのバンクーバー五輪代表最終選考会と位置づけられたSTV杯で、岡部孝信は、3位となり、4度目の五輪代表を決定付けた。
昨シーズン、ワールドカップで史上最年長優勝、世界選手権でも団体戦での銅メダルに貢献するなど、日本ジャンプ陣の柱となっていた岡部だったが、今シーズンは苦しい時間が続いた。度重なる腰痛により、思うようなジャンプができなかったのだ。
ワールドカップ遠征の日本代表には選ばれていたものの、出場する大会で予選落ちが続いた。あまりの不振に、12月下旬に帰国すると、年末からの遠征には参加せず、国内で調整せざるを得なくなった。
「オリンピックのチャンスはほとんどないでしょう」
思わずそんな言葉がついて出るほどの状態だった。
しかし、国内での調整が功を奏する。腰痛が和らぎ、本来のジャンプを取り戻していく。日本代表たちが遠征で欠場する中で行なわれた1月3日の雪印杯、8日の札幌五輪記念国際大会でともに3位。9日、遠征から帰国した日本代表選手も参加して行なわれたHTB杯こそ7位だったものの、続く10日は、日本代表の葛西紀明、伊東大貴に次ぐ3位。あきらめかけていた代表の座を、自ら手繰り寄せたのだ。
何度も代表になり、結果を残してきたベテランの粘り。
39歳という年齢での代表入りも十分賞賛に値する。それとともに見逃せないのは、何度代表を外れても、そのたびに代表に舞い戻り、国際大会で活躍してきた粘りだ。
岡部は、1994年のリレハンメルで初めてオリンピックに出場すると、団体のメンバーとして銀メダルを獲得。続く'98年の長野では団体で金メダル。
その後、ルール変更などで不調に陥り、'02年のソルトレイクシティ五輪は代表落ち。すでに30歳を過ぎていたこともあって、限界説がささやかれることもあった。
ところがその後、時間をかけて調子を取り戻していく。再び日本代表に選ばれると、'06年のトリノ五輪に出場。ラージヒルでは8位と、個人種目では日本ジャンプ陣唯一の入賞を果たす。
昨シーズンも、夏場の大会の低迷から、前半のワールドカップは日本代表から外される。ところが国内の大会が始まると、優勝を重ね、後半戦は日本代表に復帰。世界選手権では団体の銅メダルに貢献し、ワールドカップでも優勝。このときの年齢、38歳4カ月は、葛西紀明の31歳8カ月を大幅に更新する、史上最年長優勝であった。