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五輪の“燃え尽き症候群”を超えて。
フェンシング、太田雄貴の場合。 

text by

松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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photograph bySPORTS BIZ

posted2009/05/10 06:00

五輪の“燃え尽き症候群”を超えて。フェンシング、太田雄貴の場合。<Number Web> photograph by SPORTS BIZ

 五輪競技のトップクラスの選手のほとんどは、五輪を目標に据えている。4年計画で戦略を考え、強化とトレーニングを行なう。

 4年分のエネルギーが、一つの大会に注ぎ込まれるのである。以前、「燃えつき症候群」という言葉がよく使われたように、大会が終わると魂の抜け殻のようになる選手は少なくなかったし、北京五輪後も競技にどのように取り組めばよいか苦労している選手がいる。無理もない。

 フェンシングの太田雄貴もその一人だったかもしれない。

 先月、フランスから太田が帰国した。

 フランスの伝統あるクラブ「エクス・アン・プロバンス」から参加の依頼を受け、同クラブの選手としてフランス選手権のチーム戦に出場。また、世界の強豪8名によって争われる「マスターズ」や「ルヴニュー・チャレンジ」にも参加。チーム戦ではチームの準決勝進出に貢献し、ルヴニュー・チャレンジでは、北京五輪金メダルのベンヤミン・クライブリンクを破り優勝するなど成果をあげての帰国である。

 太田はフランスでの時間を、晴れやかな表情で語る。

「今後につながる楽しい3週間でした」

 実は太田にとって、成績以前に参戦したこと自体が競技人生において重要なものだった。

北京五輪銀メダリストが国内大会で負けた

 出発前、太田はこんなことを語っていた。

「北京五輪での銀メダルが、自分の思っていた以上に気持ちに影響を与えました。正直モチベーションが下がってしまっていました」

 以前から掲げていた「北京でのメダル」を達成したことで、これまでのように競技に打ち込むことが難しくなっていたのである。

 練習不足にも陥り、昨年12月の全日本選手権では決勝で敗北を喫する。フェンシング協会関係者から、「大丈夫かなあ」と心配する声も出るほどだった。

 そんなときに飛び込んできたのが、フランス挑戦の話だった。フランスはフェンシングを競技として確立した国であり、今日も強豪国のひとつに数えられる。競技で使用される用語もフランス語であるように、まさに本場である。

「以前からフランスでやってみたかった。だから話が決まってからは、練習の取り組みもきちんとやろうと思いました」

 かねてからの夢が実現したことで、競技への意欲を取り戻すことができたのである。

銀メダルがフェンシング界を一度は活性化したのだから……

 実は今、日本のフェンシング界はさまざまな動きが出てきて活性化しつつある。4月に群馬の企業「NEXUS」が北京五輪代表の千田健太ら選手4名、指導者2名を採用しフェンシングチームを発足。今月はフランスとのエキシビションマッチが東京都内の高級ホテルで開催。また、今春からは将来性のある若い選手の長期育成計画もスタート。現在、高校1年生2名と中学3年生1名が、ナショナルトレーニングセンターで寄宿舎生活を送り、学校に通いながら練習に励んでいる。

 一人の選手の活躍によって競技の状況が一変することは珍しくない。宮里藍の登場で停滞感が吹き飛んだ女子ゴルフはそんな一例だろう。

 日本フェンシング界に、北京五輪の前には考えられないような動きが出てきたのも、そのすべてがとはいわないが、フェンシングに注目を集めることになった太田の銀メダルが大きい。日本人として初のメダルは他の選手たちの間にも、「自分たちもやれる。自分もメダルを獲りたい」という意識を高めたと聞く。

 それだけにモチベーションを取り戻した太田が、今後いっそう活躍してくれることは、本人のみならず、日本のフェンシング界にとっても最重要なのである。

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