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ノルディック複合・日本代表の逆襲。
荻原健司以来の頂点を目指す! 

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松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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posted2010/01/30 08:00

ノルディック複合・日本代表の逆襲。荻原健司以来の頂点を目指す!<Number Web> photograph by KYODO

「今までより注目される中で競技をすることは、力になります」

 1月25日、ノルディック複合のナショナルチームが、オーストリアに出発した。ワールドカップ参戦と合宿のあと、そのままバンクーバー入りする予定だが、オリンピックに3度目の出場となるエースの小林範仁は、このように抱負を残した。小林の言葉どおり、久しぶりにノルディック複合に注目が集まるのが、バンクーバー五輪である。

 かつて、ノルディック複合は、日本が猛威を奮った競技であった。1992年のアルベールビル、1994年のリレハンメルと、日本は2大会連続で金メダルを獲得。世界選手権でも、'93、'95年に団体で金メダル、'93、'97年に個人で荻原健司が金メダルを獲得した。当時の日本は、前半のジャンプで圧倒的な差をつけ、後半のクロスカントリーで逃げ切るというパターンだった。

たび重なるルール変更で低迷していった日本代表。

 だがその後、日本のあまりの強さに、国際スキー連盟は、ジャンプのポイントの比率を下げ、クロスカントリーを重視するルールの変更を何度も実施する。また、海外の選手たちも、ジャンプに力を入れてきたこともあって、日本のアドバンテージは徐々になくなり、'98年の長野五輪以後は、個人、団体ともにメダルに手が届かずにきた。

 前回のトリノ五輪では、団体は6位、個人では小林の16位。スプリントは高橋の15位が最高であった。

 低迷が続いた日本の復活となったのが、昨年2月にチェコ・リベレツで行なわれた世界選手権である。団体で、14年ぶりに金メダルを獲得したのだ。前半のジャンプこそ5位だったものの、後半のクロスカントリーで逆転という、以前の金メダルとは、対照的な展開であった。

長野五輪以降続けてきた長期戦略が実った!

 苦手だったクロスカントリーでの逆転劇をなしえた理由は、長野五輪でメダルを逃したのを機に打ち出した長期戦略にある。

 一つは、ルールの変更に対応し、ナショナルチーム全般にクロスカントリーの強化を図りつつ、クロスカントリーを得意とする選手の選抜を図ってきたことだ。

 そのうえで、若い選手を海外に派遣し、経験を積ませてきた。加藤大平、湊祐介、渡部暁斗らがそうだ。

 こうして将来を見据えて選ばれた若い選手たちが、ナショナルチーム入り。今シーズンは、小林、高橋大斗、加藤、湊、渡部の5名のみの少数精鋭で海外遠征や合宿を行ない、この5人がそのままバンクーバー五輪代表となった。

【次ページ】 世界選手権で優勝したとはいえ、圧倒的な実力差は無い。

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