リーガ・エスパニョーラの愉楽BACK NUMBER
レアルは何故、「1敗」で騒ぐのか。
~絶対王者であるが故の完全主義~
text by
中嶋亨Toru Nakajima
photograph byMutsu Kawamori
posted2009/10/23 11:30
初めての敗北後、「僕のプレーに対する批判は当然。今は次の試合しか考えていない」と語ったマルセロ。その言葉通り、17日のバジャドリー戦では前半47分にチーム3点目を決め、4-2の勝利に貢献した
たった一度の敗戦によって、周囲が騒ぎ立てる。前節のセビージャ戦で今季初黒星を喫したレアル・マドリーは、その後の2週間が代表週間だったこともあり、初黒星の話題を引きずることとなった。
ロナウドがセビージャ戦を負傷欠場したため、「ロナウド依存症」なる言葉が生まれ、ペジェグリーニ監督が強化部から呼び出されたという噂がどこからともなく発生した。さらに、セビージャの先制点となった場面でゴールを決めたヘスス・ナバスの動きに全く気がついていなかった左SBマルセロは戦犯としてつるし上げられ、練習後の会見などではペジェグリーニ監督に「マルセロからレギュラーを剥奪するのか」という質問が向けられた。
敗北は許されない。なぜなら「我々はレアル・マドリーなのだから」。
まだ1敗しただけというのに、ヒステリックなまでに騒ぐレアルの周囲だが、レアルの選手達も、騒ぎ立てる周囲も、これがヒステリックなことだとは思っていない。このような状況になった時にレアルの選手や監督が揃って口にするのは、「我々はレアル・マドリーなのだから」という言葉だ。我々はレアル・マドリーなのだから、敗戦によって批判を受けることは当然だ。レアルの周囲が騒がしくなると必ず聞かれるこの言葉は、計ったように選手や監督の口から出てくる。
一見すると、それは責任を感じているということを示すための決まり文句に聞こえる。だが、この言葉が自然と選手や監督の口から出てくることこそ、「1敗」することがレアルにとっていかに重大な失態であるのかを彼らが身に染みて知っていることを示している。
8万人のブーイングが敗戦の重大さを知らしめる。
レアルの選手や監督は何故、「1敗」の重大さを知っているのだろうか。それは、彼らが世界トップクラスの報酬を受けていて、その責任の大きさを“理解”しているからではないと思う。彼らはその責任の大きさを“思い知らされて”いるのだと思う。
サンチャゴ・ベルナベウでの試合中、彼らは8万人の観衆から声援を受ける。だが、その声援は非難の声(ブーイング)と表裏一体だ。「勝利」に繋がる可能性があるプレーに対しては声援が起き、「敗戦」に繋がる危険性があるプレーに対しては容赦のないブーイングが起きる。
例えば、セビージャ戦で先制点を与えるミスを犯したとして槍玉に挙げられたマルセロが、ホームの試合でオーバーラップしようとした矢先にパスカットされた時にはスタジアムの雰囲気が一瞬で鋭くなる。オーバーラップを仕掛けようとしたマルセロの後方に広がるスペースを敵に利用され、手薄な自陣を攻めあがられて失点するというイメージがスタジアムを覆い、そのイメージが言葉になるよりも早く雰囲気となってミスを犯したマルセロに突き刺さる。仮にそのミスから失点しなかったとしても、その直後にマルセロがボールを触ろうものなら、けたたましい指笛によるブーイングが鳴り響く。こういった環境でプレーしていれば、嫌でも敗戦の重大さを思い知ることになる。