オリンピックへの道BACK NUMBER
テレビ局が煽るキャッチコピーは
選手に対する冒涜か。
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byTakuya Sugiyama
posted2009/08/05 11:30
北京五輪で100m、200m、400mリレーすべてで、世界新記録を達成。三冠に輝いたウサイン・ボルトに、TBSがつけたキャッチコピーは「カリブの怪物」
8月15日に陸上世界選手権が開幕するが、独占放送権を持つTBSに対し、日本陸上競技連盟が選手のキャッチコピーを撤廃するよう申し入れたという。
TBSは1997年から中継を行なっている。短距離代表の塚原直貴は、「高野強化委員長はテレビ局に『もういいんじゃないか』と言ったみたいです」と語ったが、現場サイドから不満があがっていたことからの申し入れとなったようだ。
乖離するテレビ局と選手たちの意識。
TBSにかぎらず、民放の中継するスポーツ・イベントでは、近年、選手にキャッチコピーをつけるのが恒例となっている。
それに対して、以前からときおり、「キャッチコピーは必要なのか」と、選手から、あるいはコーチから、現場にいる人々から不満の声があがるのを聞いたことはある。中継に携わるテレビの人々も、耳にしたことはきっとあるはずだ。
だが、キャッチコピーをつけるのは、年々盛んになりこそすれ、下火になることはなかった。
テレビ局に勤務する人たちとの会話を思い出す。
「キャッチコピーをつけることで多くの人に観てもらうきっかけになるし、選手に愛着を持ってもらえるんですよ。番組も盛り上がりますしね」
あるいはこんな言葉。
「昔からキャッチフレーズはあったでしょう。今にはじまったことじゃないですし、それを楽しみにしている視聴者も多いはずです」
聞いた時期も相手も別だったが、底にあるのは共通するものだったように思う。
昔のキャッチコピーは選手への敬意が込められていた。
たしかに昔から、選手へのキャッチコピーはあった。古くは第二次世界大戦後、競泳自由形で何度も世界記録を更新した古橋廣之進の「フジヤマのトビウオ」、プロ野球の王貞治の「世界のフラミンゴ」などは有名なところだろう。
海外にもある。「人間機関車」といえば1952年のヘルシンキ五輪で5000m、1万m、マラソンの三冠に輝いたエミール・ザトペック。競泳自由形で幾度も世界記録を更新し、五輪で金メダル5個のイアン・ソープは、「魚雷」を意味する単語に本人の名前をもじった造語「Thorpedo」の呼称がついていた。
メディアがつけたものであるのは今日と共通だ。だがどこか、違うように思える。
つけられた由来を調べていると、過去の例の多くは選手が優れた結果を出したあと(しかも直後に)、それへの評価としてつけられたものであることだ。だから、選手への驚きや賞賛がこめられているように感じられる。