カンポをめぐる狂想曲BACK NUMBER
From:横浜「披露宴にて思うこと。」
text by
杉山茂樹Shigeki Sugiyama
photograph byShigeki Sugiyama
posted2007/03/23 00:00
ライターとカメラマンとの違いといえば何か。
それは色々あるけれど、カメラマンから学ぶことも多い。
なぜなら彼らの目は非常に肥えているのだから。
日曜日、結婚式&披露宴に出席した。新郎は、日頃から行動をしょっちゅう共にしているバルセロナ在住のカメラマン。つい数日前も、CLやクラシコ取材で一緒に動いたばかりだったのだけれど、その際に、式にまつわるちょっとした苦労話を聞かされていたということもある。彼がフリーランスで、サッカー好きという、極めて似た境遇であることも輪を掛けた。大真面目な結婚式の場で、僕は思わぬ緊張感に襲われることになった。身体には、変な力が入りっぱなし。気がつけば、手のひらはぐっしょり。額にも汗がにじんでいた。所詮は他人事、なのだけれど……。
出席者の中には作家や、サッカー監督など有名人の姿もあったが、なにより幅を利かせていたのは、同業者のカメラマンたち。100キロ級の太っちょもいれば、地グロもいた。能天気そうなお馴染みさんの存在が、緊張した空気を必要以上に和らげていた。
僕も一歩間違えば(?)そちら側の人でいた可能性がある。なにを隠そう、大学時代、ゴール裏から長ダマを構え、選手のアクションを追いかけた経験があるのだ。大きな声では言えないが「俺って、センスあるじゃん」と、自画自賛したことも。カメラ機材がもう少し軽ければ……。僕は、金もないが力もない典型的な色男なんで、ライターに収まったというわけなのだけれど、いまもしカメラマンでいたら、ライターとしてより活躍できていたんじゃないかと考えてしまういやらしい驕りを、相変わらず持っていたりする。ライターとしての自信がいつまでも湧いてこないからという面なきにしもあらずだが、それだけに、カメラマンへの憧れは強いものがある。
話が合うのも彼らになる。というより、彼らの意見には、素直に耳を傾けたくなる。実際に、その目でしっかり見ているから。これが一番の理由だ。例えば、雑誌でページを作るとき、まず現場に送り出されるのはカメラマンだ。ライターや編集者の順番はその後になる。成果物は現場にしか落ちていないという宿命を抱えるカメラマンに対し、ライターはテレビ観戦でも原稿書きは可能。資料を基に原稿を作成することもできる。楽をしようと思えば、いくらでも楽できる。誤魔化しは利く。現場に行かなきゃ仕事として成り立たたないカメラマンとは性質が違う。
どちらの方が性にあった仕事のスタイルかといえばカメラマン。僕が目指すべき道は、カメラマン的ライターになる。
とはいえ、それでも僕とカメラマンとの間には、決定的な差がある。オンとオフがハッキリしているカメラマンに対し、僕の場合はあやふやだ。写真を撮り、伝送を完了すればカメラマンはフリー。それだけに遊び人も多いわけだけれど、原稿書きという作業が残る僕には、その点がとても眩しく見える。カメラマンに憧れる瞬間でもある。
美味い飯に出くわすチャンスも、カメラマンの方が遥かに多い。「世界満腹紀行」という人気ブログを連載しているKカメラマンなどは、その最たる存在だ。彼は、世界各地で美味い飯を連日食べている。各種のアルコールもそれこそ豪快に、浴びるように飲んでいる。人間離れした胃袋の持ち主なのだけれど、そのいっぽうで写真の腕前も上々。抜群の動体視力を活かし、スポーツの瞬間を切り取っている。そもそも運動神経が抜群なのだ。元社会人野球のピッチャー。小学生時代にはあのオール清水にも選ばれていた元サッカー少年でもある。
そう、概してスポーツカメラマンには、それなりのレベルでプレイしていた元スポーツマンが多くいる。この日の新郎も、T大学体育会サッカー部出身。サッカーはそれなりに巧い。いわゆるスポーツ感覚に優れたスポーティな奴がカメラマンには目立つのだ。見る目ももちろん肥えている。下手なライターより断然、目は確かだ。現場に足を運んでいるから、常に近距離から直に見ているから、なおさらだ。本質をズバリと突く、耳を傾けるに値する意見を持っている。
「世界満腹紀行」の筆者などは、文字通り、専門家顔負けの慧眼の持ち主だ。松井稼頭央が活躍できない理由、田臥勇太が活躍できない理由を語らせたら、右に出る者はいない。問題があるとされる松井稼頭央のグラブ捌きなどは、その秒間何コマかの連続写真を見れば一目瞭然。抜群の説得力が詰まっている。単なる大食い、大酒飲みではまったくない。
でも、カメラマンは総じて一見、どこか能天気そうだ。ともすると遊び人風な、真っ当そうな顔ではないのに、一見真っ当そうなライター以上に面白いことを言う。健康的というか、カッコウ良くみえる所以だ。
彼らの声は、世の中にもっと反映されるべきだと僕は思う。むしろ書き手に回った方が……と、思うことしきりだが、そうなると、彼らのオンとオフはハッキリしなくなるわけで、本来の能天気さは失われる。本末転倒な話になる。難しいところだ。その慧眼をもっと活かす方法はないものだろうか。盛り上がる披露宴の会場で、僕はふとそんなこんなを考えてしまった。