濃度・オブ・ザ・リングBACK NUMBER
タイから来た“バカ”が
日本で成し遂げた偉業。
~修斗・世界フライ級王者は35歳~
text by
橋本宗洋Norihiro Hashimoto
photograph bySusumu Nagao
posted2009/12/06 08:00
総合格闘技でタイ人として初となる世界チャンピオンの座に輝いたランバー。「次回からの対戦はすべて防衛戦を希望します」と語った
11月23日、修斗・JCBホール大会で、ランバー・ソムデートM16が田原しんぺーを判定3-0で下し、世界フライ級初代王者決定戦に勝利した。まぎれもない偉業である。ただし、熱心な格闘技ファン以外には、その価値を説明する必要があるだろう。
ランバーはタイ人であり、“本業”はムエタイなのだ。しかも、現在35歳。その全盛期は90年代だった。そういう選手が、2009年にMMAの世界タイトルを獲得したのである。タイ人がMMA世界王座を獲得するのは、史上初のことだ。
MMAには、レスリングや柔道、キックボクシングなど様々なバックボーンを持つ選手がいる。だが、MMAの中心地といえば、かつては日本であり、今は北米である。タイの人々にとっては、格闘技といえばムエタイかボクシング。MMAはまだまだマイナーなジャンルでしかない。
ムエタイ戦士の人生を変えた、日本での出会い。
かつて、ランバーはムエタイの本場タイでも認められた選手だった。最高位はルンピニー・スタジアムのフライ級2位。じっくりと構えて蹴りを繰り出し合う技巧派が多いタイで、彼は好戦的なファイターとして一世を風靡した。常に前進し、攻撃一辺倒。入場時には踊り狂い、試合後には飛び上がってマットにダイブするハイテンションぶりから、ランバー(タイ語で“バカ”)のリングネームがついた。
その人気と闘いぶりを、日本のプロモーターも放っておかなかった。たびたび来日を果たし、ラビット関、土屋ジョーなどトップ選手を次々にKO。キック界でもランバー人気は沸騰する。そして日本人の女子キックボクサーと知り合い、結婚したことから、彼の人生は大きく変わっていった。
日本に定住した彼が見たのは、当時まさに大ブームを迎えていたMMAだった。日本の格闘技界にいれば、総合ファイターとの交流も深まる。2001年、ランバーはDEEPのリングでMMAデビュー。矢野卓見に判定勝ちを収めると、1年間で2勝2敗の戦績を残した。
その後、東京・北区に自身のジム『M16ムエタイスタイル』を設立したランバーは、2007年に修斗で復帰する。理由は「ノリコ(夫人)が、僕が修斗の試合に出るのを見たいと言っていたから」。だが、理由はそれだけではないはずだ。彼の修斗での階級はフライ級(52kg以下)。ムエタイのフライ級が50.8kgリミットだから、わずか1kg強しか違わない。30代半ばを迎えても、体脂肪がほとんど増えていないということだ。それだけ彼は練習が好きであり、どんなジャンルであれ闘うことが好きなのだ。紀子夫人とは離婚したが、修斗への情熱が消えることはなかった。