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FC東京監督 城福浩は理想を説く。 <一冊のノートが組織を変える> 

text by

松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

PROFILE

photograph byTakuya Sugiyama

posted2009/09/11 11:30

FC東京監督 城福浩は理想を説く。 <一冊のノートが組織を変える><Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

少しずつチームに浸透していった「ぶれない」理念。

 チームを少しずつ立て直してきた城福だが、就任当初、新監督を見るまなざしには期待と不安の両方がまざっていた。

 低迷から立て直してくれるのではないか。

 方向性を見失い泥沼にはまるのではないか。

 チームを再生させてほしいという願いが寄せられる一方で、Jの監督としては未知数であること、そして、これまでのFC東京とは異なる方向、「ボールも人も動くサッカー」を掲げたことが不安をも呼んだのだ。

 それまでのFC東京といえば、簡潔に言えば、しっかり守って縦に速く攻めるリアクションサッカーを志向するチームだった。城福のサッカーは、それと正反対といってよい。これまでの土壌を考えると、果たしてできるのか。おおげさに言えば、チームを根本から変える作業に等しい。だから選手も不安を抱えていた。

「当時口にする選手はいませんでしたが、あとからメディアに出た記事などで選手の言葉を読んで、相当違和感を持っていたんだなあと知りました」

 そう振り返る城福には、就任にあたって強い決意があった。14、15歳の年代あるいはU-17日本代表監督として指導経験を積む中で、パスをつなぐサッカーこそ、勝利に最も近い道だとの考えが根付いていた。実際、U-17では、12年ぶりにアジア選手権を制し、U-17ワールドカップ出場と、成果もあげている。このサッカーを実現したい。そんな思いが飽和状態になっていた中での就任であった。

「だから、今までのチームのここをこう変えて再建したいというより、自分の思い描くサッカーを根付かせたいという気持ちでした」

 理念を語るのはたやすいが、実現はやさしくない。城福が心がけたのはただ一点だった。

 ぶれないこと。

「自分が勝つためにいちばん近いと信じているサッカーをぶれないで伝えること、彼らがどうシンパシーを感じてくれるかというのが勝負だと思っていました」

練習は嘘をつかない。結果よりも過程と内容を重視した。

 では、選手たちにとってこれまでと正反対な価値観を、どのようにして伝えてきたのか。

「自分の伝え方が豊富であったり成熟しているとは全然思わない。ただひとつ、1年半以上の間、伝える内容はいっさいぶらさず、毎日言い続けてきた。それだけはたしかです」

 試合後に選手に語ってきた言葉からもそれは確かめられる。

 例えば、目指すサッカーが最初に形になったといえる'08年4月の川崎フロンターレ戦。3-2で迎えた後半25分。のべ11人による11度の流れるようなパスの末、スペースに飛び出した今野泰幸に大竹洋平からのパスが通りゴールを決めたシーンを指し、試合後、城福は選手たちに言った。

「小平は嘘をつかないだろ。またやり続けようぜ」

 目指すべきものを体現したことを、選手たちにあらためて実感させたのだ。

 あるいは今シーズン、5月の、やはり川崎との一戦。2-0から3点を立て続けに奪われて逆転負けを喫した試合後のことだ。衝撃に沈み、うつむきがちになる選手たちを、「顔を上げろ」と叱咤した。

「試合自体は、胸を張れる内容だった。結果論ではいろいろ言われるかもしれない。だが内容は悲観すべきものじゃない。このサッカーを続けるべきだ」

 目指すサッカーが近づいてきているという手ごたえがあっての言葉である。そして、自身の中にジャッジする明確な基準、「ボールも人も動くサッカー」があり、迷いがないからこそ、逆転負けという結果のみに左右されずにいられたのだ。ちなみに、この川崎戦の2戦後の山形戦から8連勝は始まっている。

【次ページ】 「選手の個性を出せるのは、選択肢があるとき」。

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城福浩
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