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王貞治「監督日記」 勝算われにあり! <再録連載第1回> 

text by

瀧 安治

瀧 安治Yasuji Taki

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photograph byKazuhito Yamada

posted2009/05/21 11:00

王貞治「監督日記」 勝算われにあり! <再録連載第1回><Number Web> photograph by Kazuhito Yamada

再録連載 第1回(2/3)

△昭和59年4月6日(金) 対阪神1回戦(8-8)

サラリーマン1年生の心境。

 7時ちょっと前に目を覚ます。7時に目覚しをセットしておいたが、その必要もなかった。カーテンの間から差し込む光の強さで快晴であることがわかった。なんとなく目が覚める前から、鳥の鳴き声、気配で絶好の野球日和だと感じていた。起きぬけに、いつものように牛乳をカップ八分目くらい飲む。美味い。

 新聞に一通り目を通してから食堂へいく。もう子供達は一足先に食べたようである。ゆっくりと落ちついて食べられるように女房が気を使ってくれる。知人が届けてくれた出来たての赤飯を2杯もお代りする。女房と向かい合って行儀よく食べたのがなんとなく不自然であった。ゴシゴシ歯を磨く手にいつもより力が入っているのがわかる。よし行くか!!

 初日だからネクタイをしていこう。今日の気候に合ったスーツをどれにするか。すぐ紺色の平凡な服を選んだ。サラリーマン一年生の心境である。特別に好きな色とか好きな背広とかいう気持はない。ふだんのままがいいと思った。ハデなやつを着たり、いろいろ新調して身の回りをカモフラージュはしたくない。

 応接間では早くからテレビのカメラが用意されている。新聞記者、カメラマンも大勢いた。10分から15分位、あわただしく取材される。今までの静かな雰囲気が一遍に吹っ飛んでしまう。出掛ける時、玄関の鏡でネクタイをしめ直す。鏡に映った自分の顔に向かって、 「シャンとしなきゃだめだぞ新監督、どんな展開があっても、こっちの顔色や動作を選手もみんなうかがっているんだから」と言い聞かせ、ピシッと背すじをのばす。昔から鏡に向かうといろいろと想うくせがあるらしい。

 愛車ベンツのエンジンは一発でかかる。気を落ちつかせるためにも、エンジンを少しかけたままにして、走り出すのを遅らせる。マスコミ関係のハイヤーも準備を整えたらしい。記者の中には同乗させてほしいという者もいたが、やんわりとおことわりした。いつもならそういうことはないが、今日だけは誰も乗せたくはない。静かな気持で行きたいのだ。

 いつも通る道が通行止めになっている。一瞬ケチがついたかなと思ったが、小学校の入学式による通行止めとわかり、なんとなく「俺と同じ気分じゃないのかな、新入生は……」独りでに笑みがこぼれる。高速道路は空いている三軒茶屋から入り一直線に西神田出口に向かう。途中ついてくる各社の車をバックミラーで見ながら、巨人軍入団以来初めての“安全運転”で走る。こんな時事故でも起こしちゃまずい。走りながら、これから選手たちがやってくれるであろう楽しいことが次次と浮かんでくる。あれだけ走るキャンプをやったんだから、みんなガンガン盗塁してくれるだろう。今年は盗塁がどれくらいできるだろうか、守備のいいプレーがどんなに沢山できるだろうか、楽しみで仕方がない。

 試合前のロッカールーム。

 コーチを集めて「さあいよいよ本番だ、頑張ろうぜ」これだけで気は通じた。全員ロッカーに集合してミーティングをする。まず今日の先発メンバーの発表。オーダーは江川先発も含めてずっと前から決めていた。ただクロマティだけがケガの回復待ちであった。

 江川先発は、オープン戦の始まる前に自分の判断で決めて、俺の口から江川に伝えた。

「江川は投手陣の機関車であるし、やはり江川が先頭になって走ってくれないと困る」という堀内コーチの意見もあった。だから、オープン戦は「開幕投手・江川」のローテーションで組み立てていった。一度決めたことを変えない頑固さが俺の特技だ。

「今までやって来たことを、普通にやってくれればいい。自分のやれるプレーをやれば、絶対に優勝できる。自分のできるプレーをしてくれればいい、それだけだ」

 心の中に昨年日本一になれなかった侮しさが想い出されてきた。

【次ページ】 阪神があそこまでやるとは。

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王貞治
読売ジャイアンツ

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