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「日本のサッカー」が見えてきた。 

text by

西部謙司

西部謙司Kenji Nishibe

PROFILE

posted2006/12/07 22:49

 「日本人のサッカーをやる」

 就任会見で、イビチャ・オシム監督はそう言った。

 敏捷性、技術、攻撃性などを生かし、他国のマネではないサッカーをやる。リンカーン大統領のゲティスバーグ演説のような、日本人による日本人のためのサッカーを、という新監督の“日本サッカー宣言”によって、新しい代表チームはスタートした。

 考えてみれば奇妙である。日本人のサッカーとは何かを説明しているのが外国人で、聞いているのが日本人なのだから。

 「イタリア人のサッカーをやる」。もしイタリア代表監督がそう言ったなら、イタリアのサッカーとは何かを問うイタリア人はいないだろう。ブラジル代表監督が、我々の原点に立ち返ると言っても同じことだ。

 日本人のサッカーはある。現実に、そこにあるのが日本人のサッカーで間違いはない。けれども、イタリアやブラジルのサッカーのように、日本のサッカーが存在するわけではない。代表チームに問われているのは「どうあるべきか」「どうすれば勝てるか」だ。世界で勝ちまくった経験のない日本人は、その解答を持つには至っていない。

 オシムには、そのビジョンがある。彼に見えている「日本のサッカー」の姿がある。

 サウジアラビア戦は、オシム監督の意図するものがこれまでの7戦で最も表れた、「日本のサッカー」の輪郭が部分的にせよ見えた試合となった。

 「おろそかになっている基本を教えた」

 日本サッカー協会の岡野俊一郎名誉会長は、ジェフ千葉時代のオシム監督をそのように評していた。ここでいう「基本」とは、プレーするうえでの普遍的な戦術と解釈すればいいだろう。勝つためにどうすればいいか。誰が考えてもわかる、単純な理屈のことだ。

 それが表れたのが、29分の我那覇和樹による2点目のゴールだった。

 サウジアラビアのペースで進んだ静かな立ち上がりの後、日本は20分にCKから先制する。唐突ともいえる1点の後、流れは大きく日本側へ傾いた。9分後の2点目は、右サイドに出た加地亮へパスが渡ったところから始まる。サイドで1対1になった加地の外側を、今野泰幸が追い越していった。

 この試合での今野のポジションはストッパーで、敵の最重要人物であるFWアルカフタニをマークする重責を担っていた。にもかかわらず、この場面では駒野友一から加地へパスが出るやいなや前方へスタートし、加地を追い越してフリーになっている。この場合の基本、単純な理屈は、数的優位を作ることだ。1対1より2対1のほうが有利に決まっている。

 アドバンテージをつかんだ今野が実行した次のアクションは、アイデアを出す、だ。敵の意表をつき、裏をかくこと。これもサッカーでは普遍的な要素であり、基本といっていいだろう。加地からパスを受けた今野は、右足で単純にクロスを放り込むのではなく、切り返してカットイン。サウジアラビアの守備陣がこれでフリーズされた瞬間に、我那覇と呼吸を合わせて左足のピンポイントクロスを命中させた。

 この1点には、オシム・サッカーの要素が集約されている。それをひと言で表すなら、「チームプレー」ということに尽きる。1対1で不利でも、2対2、3対3、11対11なら勝てる可能性がある。それがチームゲームであり、サッカーの普遍的な真理だ。オシム監督が見た「日本のサッカー」の可能性もそこにあったはずだ。

 すっかり有名になった、ジェフ千葉でも行っていたトレーニングがある。1対1で始まるが、攻撃側と守備側がどんどん増えて、3対3や5対5に変化していく練習だ。オシム監督は、このメニューを通じてサッカーの基本、普遍的なメカニズムを、実に要領よく選手たちに伝えている。

 「なぜ、助けてやらない?」

 サポートを促された選手たちは、次々と味方を助けにいく。攻守合わせて12人もの選手がペナルティーエリア周辺にひしめくようになると今度は、「そんなに行ってどうする」。

 8人も攻撃に行ったら、後ろには2人しか残らない。人数が多すぎて攻撃するスペースも狭くなってしまう。速攻・遅攻は速度だけの問題ではなく、スペースと状況と人数が決めるのだという基本がすぐに理解できるようになっている。

 サッカーで最も点が入りやすいのは速攻である。カウンターとセットプレーが、現代のゲームの得点源だ。しかし、守備側は攻撃側よりも通常1人多く後方に残して逆襲に備える。FWが単独で2人を突破してシュートできれば、それが一番速いが、なかなかそうもいかない。となれば、速攻の成否を決めるのはサポートのスピードになる。

 前線にボールが入ったら、すかさず2列目がサポートする。そこで攻めきれなければ外、さらに後方から。数的優位を作れば、一気にシュートへ持ち込める。

 相手が十分に帰陣して数が余らず、スペースも限定されてきたら、必要になるのはアイデアだ。

 手詰まりになると単純にクロスを放り込んでしまうアイデアのなさに対し、オシム監督は「悪しきオートマティズム」と嘆いたことがあった。やはりトレーニングでヒントは出している。例の多色ビブスを使ったパス回しもそれだ。パスを出す色を限定することで、いわゆる「3人目の動き」を意識させる。これもサッカーの教則本に必ず記されている基本中の基本だが、プロの試合でもなかなか実行されていない。A選手からB選手へのパスか、せいぜいワンツーどまり。3人が連動性を持って絡む攻撃は意外に少ない。

 10月に対戦したガーナのクロード・ルロワ監督は、

 「日本は三角形の攻撃を仕掛けてきた」

 と、記者会見で話した。ベテランのフランス人はオシムの意図を見抜いていた。

 素早いサポートによる速攻、さらに連続的なサポート、3人のコンビネーション。この段階で崩せなければ、もう相手は帰陣している。狭いスペースをこじ開けるよりも、いったんボールを下げて確保し、攻め直すのが賢明だ。前が詰まっていれば後ろは空いている。スペースは十分で、GKを含めれば人数も2人は確実に余っている。このGKを利用したビルドアップはまだぎこちないが、阿部勇樹、田中マルクス闘莉王、今野の最終ラインはフィードが上手く、後半立ち上がりの3点目は今野のパスを起点に生まれている。

攻守両面の能力が必要だが、スーパーでなくてもいい。

 「マークするのは、マークさせるという考えに及ばない」(オシム監督)

 守備の原則もまた、非常に単純である。マンツーマンで1人ずつ捕まえて、最終ラインでリベロが余る。ただ、単純だからといって簡単とは限らないが。

 「相手をリスペクトする」

 まず、相手に合わせて守る。相手が1トップなら最終ラインは2人、2トップなら3バックになる。相手に応じてフォーメーションを変化させ、マーク漏れがないように迎撃態勢を整える。

 だが、これだけで終わらないのがオシム流だ。ボールを奪ったら、マークしていた相手を置き去りにして攻撃することを狙う。その瞬間、マークするのではなく、相手にマークさせることになる。

 「ロナウジーニョを走らせ、マークさせれば、もうロナウジーニョではなくなる」

 攻撃のスーパースターも、守備までスーパーとは限らない。むしろ、守備は並以下であるほうが多い。攻撃のスターを守備に奔走させれば、その選手の攻撃力を奪うことにもつながり、攻守両面でメリットが生まれる。

 マンマークは逆手をとるための戦法でもあるのだ。この関節技のような、後の先をとるようなやり方で効果を出すには、攻守両面でのトータルな能力が選手に要求されるが、スーパーである必要はない。

 後半11分、GKのクリアボールをハーフライン付近に残っていた三都主アレサンドロが拾う。その瞬間、日本は5、6人の選手たちが相手に置いてけぼりを食わせて怒涛の押し上げを見せた。三都主のパスミスで立ち消えになってしまったが、その迫力はオシム流が浸透しつつあると感じさせた。

 サッカーは野球とは違い、攻守が明確に分かれている競技ではない。攻撃は守備で、守備は攻撃だ。さらに、その狭間にチャンスが転がっているスポーツである。

 「攻撃は最大の防御で、つまり攻撃の中に守備もある」

 6試合無得点のストライカー、巻誠一郎への風当たりが強くなる中、オシム監督は、「それを実践しているのが巻だ」。

 1人で突破できるスーパーなFWがいなければ、速攻を成立させるためにターゲットプレーヤーが必要になる。ほんの数秒でいい、味方がサポートするまで体を張ってボールを守れる選手が最前線にほしい。では、なぜ巻なのか?― 他のターゲットでないのか?

 「ハーフラインからゴールの間を走り回り、スライディングする。そんなFWが他にいますか?」

 ターゲットへのクサビは不可欠だが、背後にマークを背負っている以上、常に成功するとは限らない。足下が確かなことは重要ではあるが、それでも失敗のリスクがつきまとう種類のプレーである。が、諦めずに食い下がり、相手DFを決して自由にさせず、場合によっては奪い返す能力があるなら、リスクを抑えることができる。

 速攻成立のためにはターゲットへ当てるリスクを冒さなければならない。しかし、そのリスクは極力抑えなければならない。そうでないと、それにトライしなくなってしまう。そのための巻、そういうことだと思う。

 巻に限らず、オシム監督は全選手に攻守両面での貢献を求め、必然的に走れることが条件になる。スペシャリストを否定するわけではないが、そんな選手は多くはいらない。

 オシム監督はJリーグの中位に甘んじていたジェフ千葉を優勝争いの常連に引き上げたが、スーパーな選手はほとんどいなかった。スーパーよりトータル、個人でなくチームを軸として上昇させた。

 世界の中の日本もまた、中位にランクされるだろう。世界基準でスーパーな選手は誰もいないが、組織プレーには向いている。1人でやるよりも、集団でやろうとするセンスは日本選手に独特なものとさえいえる。

 千葉はナビスコカップ連覇によって、「千葉のサッカー」を確かなものにした。しかし、代表が「日本のサッカー」を確立するには、これから実績を積み重ねていかなければならない。成功体験を通して、はじめて人々はその合理性を確認する。まだ作業は始まったばかりだ。

 '03年、ジェフ千葉の新入団選手の家族との懇親会で、オシム新監督はルーキーの親御さんに言った。

 「あなたは息子さんを『最後まで諦めずに走る子供』に育てましたか?― もしそうでなければ期待しないほうがいいでしょう。もしそうなら、私が責任を持って育てます」

 そのとき、巻の両親は答えたという。

 「それだけは自信があります」

 日本代表の監督として、オシムが最初に投げかけた問いも「走れるかどうか」だった。

 もし、日本サッカー界の答えがイエスなら、オシム監督は責任を持って「日本のサッカー」を育てていくに違いない。

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