ロンドン五輪代表、最大の挑戦BACK NUMBER
誰がロンドン五輪の「顔」になる?
サッカーU-22代表に漂う微妙な空気。
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph byKYODO
posted2011/02/27 08:00
アジア大会前はそれほど期待も注目もされていなかったU-21サッカー日本代表。サッカーでは初となる金メダルを獲得して、日本サッカー史に新たな歴史を刻んだ
2月4日、ロンドン五輪に向けてU-22日本代表が始動し、中東遠征が行なわれた。親善試合は、クウェートA代表のサブメンバーに0-3で敗れ、U-22バーレーン代表には2-0で勝利し、1勝1敗で遠征を終えた。
関塚監督は「中東のサッカーを経験出来てよかった」と、初の中東遠征に及第点をつけた。6月の2次予選ではイランやカタールと対戦する可能性があり、その対策として事前に中東のサッカーを感じることができたのは大きな収穫だった。しかし、今回の中東遠征の最大のテーマである「戦力の融合」は、果たして、どうだったのか――。
アジア大会メンバー+Jリーグレギュラー組+プラチナ世代=?
今回のロンドン五輪U-22代表メンバーは、これまでとは違う流れで構成されている。
通常は、例えば前回の北京五輪代表であれば、オランダ・ワールドユース組とU-20W杯カナダ組の世界大会を経験した世代の中から選手をピックアップしてチームが作られた。U-20W杯は、世界を経験するだけではなく、選手の力量を判断する場としても非常に重要だったのだ。だが、今回のメンバーは、アジアユースで敗れ、2009年エジプトU-20W杯は出場できず、2011年コロンビアU-20W杯の出場権も失った。そのため、ベースは世界大会で活躍した選手に置けず、昨年のアジア大会優勝メンバーを中心に、Jリーグのレギュラー組を加え、さらに宇佐美貴史らプラチナ世代の飛び級組を入れた史上初の3世代混合チームになっていたのである。
そのため中東遠征では、まず選手の実力を見極め、並行して3世代の「戦力融合」をスタートさせた。選手の能力の見極めについては、関塚監督が「選手のところで発見があった」と、言うように手応えはあったようだ。だが、肝心の3世代の戦力融合は、ほとんど進行せずに終わってしまった。
シドニー五輪では、チームが真っ二つに分裂していた。
U-22代表のような若い世代の融合は、年齢が近いので一見、A代表に比べ容易に見えるが、実はそれほど簡単ではない。過去の五輪代表も、この世代の融合には一番苦労してきているのだ。
例えば、シドニー五輪代表はどうだったのか。
この時は、宮本恒靖、中村俊輔、柳沢敦の世代と小野伸二、遠藤保仁、稲本潤一ら黄金世代の融合チームだった。
だが、シドニー五輪1次予選がスタートした時、結成したばかりのチームは融合どころか2世代が真っ二つに割れていたのだ。当時、キャプテンだった宮本は「伸二ら下の代は、ナイジェリアのワールドユースで準優勝し、俺らがチームの中心という空気を鼻につくほど前面に押し出していたし、俺らは何、調子のってんねんって思っていた」と言うように、お互いに歩み寄る姿勢はまったくなかったのだ。