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「じつは横浜も楽天も入団テストで落ちました」巨人で新人王、“育成の星”の逆転人生…「年俸240万円→推定3億円超」「巨人もダメなら横浜で打撃投手に」
text by

日比野恭三Kyozo Hibino
photograph byBUNGEISHUNJU
posted2025/04/22 17:01

9年連続60試合以上登板の記録を持つ、巨人・山口鉄也。2018年に現役引退。キャリア後半は推定年俸3億円超の年も
「見てたら、難しいチェンジアップを簡単に放るんだ。部長に『枠があるなら獲っといたほうがいいよ』という話をした。はじめてだよ、そんな余分なことを言ったのは」
山口は高校時代、チェンジアップを投げていない。渡米前に習得を試み、アメリカで同僚たちの助言に耳を傾けながら磨きをかけた球種だった。
後日、山口は「育成で獲る」という連絡をジャイアンツから受けた。育成選手制度はこの年に導入されたばかり。電話口で簡単な説明を受けはしたが、躊躇する理由には一切ならなかった。
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「アメリカでは何段階もあったけど、日本は二軍と一軍しかない。いっきに3Aに入れた気分でした。チャンスはある、と」
背番号は「102」。年俸240万円。アメリカ時代からは、およそ2倍に増えた。
「プロ野球に入れたからそれでいいのか」
やっとゴールにたどり着いたと感じていた22歳は、支配下選手と同じ練習メニューをこなし、そのことに何の疑問も抱かなかった。気づきを与えたのは小谷だった。
「プロ野球に入れたからそれでいいのか。お前は立場が違うんだから、みんなと同じようにやってたんじゃ、いつまで経っても追いつけないぞ」
そう叱責を受けてから、山口はどの投手よりも遅くまで残って練習することを自らに課した。ウェイトで強靭な体をつくり、「相手が嫌がるピッチャーになれ」という小谷の助言からスリークォーターのフォームを完成させた。オフには工藤公康の自主トレに参加。アリゾナで四六時中、左腕の大先輩の教えに触れた。山口は言う。
「帰国してから投げてみたら、明らかに変わってたんです。球速、球の強さ、コントロールも。ブルペンキャッチャーの方から『(自主トレ前と)全然違うよ』と言われた。その言葉が、自信になりました」
「相手は嫌だったと思うよ」
以降の展開は加速度的だ。2年目の07年4月23日に支配下登録、その6日後には神宮球場で一軍の初マウンドを踏んだ。
最初の打者はアレックス・ラミレス。口ひげの強打者にいきなり当たり「ついてねえ……」とは思ったが、チェンジアップを引っかけさせて、なんとか1つ目のアウトを取れた。