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「やってらんねえよ!」日本ハムベテランがキレた…昭和のプロ野球キャンプ“驚きの練習”、元ドラ1日本ハム投手が語る「毎日腹筋2000回、200球、終わらない坂道ダッシュ」
posted2025/02/15 11:03

1992年シーズン、日本ハムを指揮した土橋正幸監督
text by

沼澤典史Norifumi Numazawa
photograph by
Sankei Shimbun
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「毎日腹筋2000回、200球、終わらない坂道ダッシュ」
武田氏がプロ入りしたのは、1988年(昭和63年)。ドラフト1位で日本ハムへ鳴り物入りで入団した武田氏だったが、「1年目のキャンプが最も辛かった」と振り返る。
「練習についていくのが精一杯。まずアップが今と違って長くて、1時間くらいはやっていた。練習でも走りまくって、投げまくって、今では考えられないくらいやらされたね。内転筋が切れそうなくらい痛くて、毎日アイシングをしないとついていけなかった。でも、本当にやばかったのは春じゃなくて秋のキャンプでしたね」
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武田氏いわく、春季キャンプはシーズン前ゆえに故障しない程度に追い込み、身体を作るもの。しかし、秋季キャンプは「壊れてもいいくらいに思われていた」という。
「1年目の秋のキャンプはコーチだった高橋善正さんの指導を受けて、朝10時から夜21時まで練習。V字腹筋100回20セットで、毎日腹筋2000回やらされたからね。途中でV字を保てなかったらイチからやり直し。それから、ブルペンでは毎日200球投げて、終わったら坂道ダッシュのタイムトライアル。設定したタイムを切るまで延々走らされる。21時くらいに帰ると、ホテルのメシも終わってるから、そこからゼンさん(高橋善正)に連れられて、河野博文さんと津野浩と一緒に寿司を食いに行くという毎日だった。津野は酒が飲めないから、いつもトイレで寝てました。でも、その練習が2年目の飛躍につながったと思うね」
「センさん(星野仙一)なんか、僕のことはシカトです」
実際、武田氏はプロ2年目の1989年に先発ローテーションに定着し、36試合に登板。6勝8敗の成績を残した。さらに、この2年目のシーズンが始まる前のオープン戦も今では考えられないような登板をしていたそう。
「2年目のオープン戦では、40イニング以上投げましたね。僕はオープン戦の開幕投手でしたが、先発して4イニング投げました。オープン戦の終盤には完投してましたよ。今ではちょっとありえないね。僕は先発になってからのキャンプ中は3000球を目標に投げ込んでたけど」