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超弱小校から“まさかのドラフト指名”「なんであんたクビにならんの?」二軍で6年間、戦力外寸前だった男が“ホークス1億円投手”になるまで
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田尻耕太郎Kotaro Tajiri
photograph byJIJI PRESS
posted2025/02/08 11:01

かつてホークスのエースとして活躍した田之上慶三郎
「一か八か。やってクビか、やらずにクビか。どっちみちクビになるなら挑戦してみてダメな方がいいや、と」
「やらずにクビならやってクビ」
翌2000年シーズン、田之上の直球が明らかに変わった。140キロ台中盤のストレートが城島のミットを強く叩いた。「ジョーとは最近もその昔話をしたけど、『俺そんなこと言いましたっけ』ってとぼけてましたね(笑)」。開幕ローテ入りを果たし、先発と中継ぎで計24登板して8勝4敗とチームに貢献。リーグ連覇を果たした試合では先発マウンドを託されて無失点で勝利投手にもなった。
「王(貞治)監督にはいつも怒られていました。ピッチャーはみんな抑えたいからコースを突こうとする。でも、それでカウントが悪くなって最後にやられてしまうんです。王監督からは『ピッチャーが投げないと始まらないんだ』『投手が先手。その優位性があるから初球から攻めなきゃ』とよく言われました。
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僕のトレーニングを指導してくれた方の本にも同じようなことが書いてあった。人間はどんな状態が一番いいパフォーマンスを発揮できるか。それはワクワクドキドキの状況をいかに作れるか。子供の時の遠足とかでも、自分に楽しいことがあれば勝手に目が覚めて体が動くでしょ。そういう時のほうが失敗は少ないんです」
戦力外すれすれの生活を10年間つづけてきた。やらずにクビなら、やってクビ。そう思えば、不思議と開き直れた。
「この時間に今、日本のプロ野球でマウンドに上がれるのはたった6人。すごくラッキーだなって。普通ならクビにされていたようなピッチャーなのに。そう思うと、おのずと自分の力が出せたんです」
1億円投手になった日
01年に13勝7敗でエース格へのし上がり、最高勝率のタイトルを獲得。城島とともに最優秀バッテリー賞にも輝いた。同年オフの契約更改では年俸3500万円から大幅アップとなった。無名でプロ入り、二軍で6年過ごした男が、1億円の大台にたどりついた。
「だけど1億円という喜びに浸ったのは、一瞬。本当に束の間でした。すこし負けが続くと、余計なことを考え出してしまうんです」
つぎに田之上を襲ったのは、1億円プレイヤーゆえの苦悩だった。
〈つづく〉
