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超弱小校から“まさかのドラフト指名”「なんであんたクビにならんの?」二軍で6年間、戦力外寸前だった男が“ホークス1億円投手”になるまで
posted2025/02/08 11:01

かつてホークスのエースとして活躍した田之上慶三郎
text by

田尻耕太郎Kotaro Tajiri
photograph by
JIJI PRESS
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NHK連続テレビ小説「おむすび」の舞台の1つである福岡県糸島市。その玄関口となるJR筑肥線・筑前前原駅から徒歩1分の立地で、カフェ「itoshimacco(いとしまっこ)」を営む田之上慶三郎(53歳)は、わずか1年ほど前まで福岡ソフトバンクホークスのユニフォームに袖を通していた。
エプロン姿にメガネをかけた“184cmの長身イケおじ”マスター。穏やかな表情と物腰柔らかい喋り口調も相まって、18歳から34年ものあいだ“プロ野球界の住人”だったのが信じがたく思えてしまう。
超弱小校からドラフト指名
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田之上はホークスファンから愛された選手だった。
かつて万年Bクラスと揶揄された球団は、1999年と2000年にリーグ連覇を果たし、現在まで続く常勝軍団の扉を開いた。その時期に田之上は、主に先発ローテの1人としてチームに貢献。2001年にはパ・リーグ最高勝率のタイトルを獲得し「鷹のエース」として一時代を築く。
そんな輝きを放った一方で、古参のファンには下積み時代の長かった「遅咲きのエース」として認識されている。
「一軍デビューがプロ7年目でしたからね。ホークスに入団して6年間、ずっと二軍生活。高校時代だって全くの無名で、ドラフト外でのプロ入りでしたから」
田之上は鹿児島県薩摩半島の南端にある指宿市の出身。5人きょうだいの4番目で3男だった。地元公立の指宿商業高校に進学して野球部のエースとして活躍するも「ほぼ1回戦負けでした」。3年生のクラス決め時には公務員を志望するクラスを選んだ。
「だけど勉強は全然(笑)。だから経済系の大学に行くのもいいかなと」