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超弱小校から“まさかのドラフト指名”「なんであんたクビにならんの?」二軍で6年間、戦力外寸前だった男が“ホークス1億円投手”になるまで 

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田尻耕太郎

田尻耕太郎Kotaro Tajiri

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photograph byJIJI PRESS

posted2025/02/08 11:01

超弱小校から“まさかのドラフト指名”「なんであんたクビにならんの?」二軍で6年間、戦力外寸前だった男が“ホークス1億円投手”になるまで<Number Web> photograph by JIJI PRESS

かつてホークスのエースとして活躍した田之上慶三郎

「オマエ何してるんや。あの時はいい球投げるなと思っとったのに」

 2人は6年ぶりの再会だった。田之上がプロ1年目だった90年に、ダイエー球団と懇意の関係にあった米マイナー1Aのサリナス・スパーズに野球留学したことがあった。そして当時、サリナスを日本人として初めて率いていたのが古賀だった。

「サリナスでは試合でソコソコ投げられていた」と田之上が言うように、古賀はアメリカでの好投を覚えていたのだろう。田之上を二軍で積極的に起用した。その信頼が、田之上に自信を植え付けた。

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 かくして一軍デビューにこぎつける。96年9月26日の近鉄戦、プロ7年目のことだった。

「二軍のマネージャーだったかな。電話がかかってきて、一軍昇格を告げられて。藤井寺球場がある大阪まで新幹線で移動した記憶がある。実家にも電話して両親にも報告したね」

一軍で苦悩「俺は何が足らん?」

 翌97年は開幕一軍メンバー入り、5月5日の福岡ドーム(現・みずほPayPayドーム)での近鉄戦は8回途中2失点でプロ初勝利を手にする。だが、ここで再び伸び悩む。

 97年は4勝9敗で防御率5点台。98年は0勝、プロ10年目となった99年もわずか2勝。二軍生活からは脱却したものの、年齢も重ねていく。この成績では再び“クビ”の恐怖が忍び寄る。

「このままでは厳しい。ならばどうすべきか。意見を求めたのが城島(健司)だったんです」

 二軍時代にバッテリーを組み、すでに一軍で正捕手になっていた城島に、田之上は信頼を寄せていた。当時、城島は23歳。田之上の5つ下だ。縦社会が色濃く残る環境で、城島に助言を求めるのは異例だった。とはいえプライド云々を気にしている状況ではなかった。藁にもすがる思いで、城島に聞いた。

田之上「ジョー、俺は何が足らん?」
城島「やっぱり、スピードがあと5キロ欲しいです」

 田之上は動いた。そのオフ、当時の球界では推奨されていなかった筋トレを取り入れる。周囲から疑念の声も上がったが「そんなの関係ない」と突っぱねた。

【次ページ】 「やらずにクビならやってクビ」

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