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「2015年の代表合宿だけは二度と戻りたくない(笑)」。日本ラグビー史上初ベスト8の原動力となった福岡堅樹が語る“ジブンを追い越す”瞬間。
text by
福田剛Tsuyoshi Fukuda
photograph byTakuya Sugiyama
posted2024/12/20 11:00
2015年のイングランド大会ではケガもあり十分なパフォーマンスは発揮できなかったが、7人制で出場したリオデジャネイロ大会、さらにはラグビーユニオンの国際大会であるスーパーラグビーに参戦していた日本チームの「サンウルブズ」でも大きな手応えを感じていた。
「代表合宿を経て体が一回り大きくなりましたし、海外のトップレベルの選手を相手にしても自分のプレーが通用する。試合をするごとに前の週の自分よりも着実に成長している感覚がありました」
そして、2019年にこれまでの成長が、大きな実を結んだ。
「ベスト8を決めたスコットランド戦は自分の中で初めてゾーンに入ったんじゃないかと感じるほど、本当に最高のパフォーマンスを発揮できました。これもすべて2015年の代表合宿があったからですし、鍛えてくれたエディーさんにはすごく感謝しています。ただ、もう一度やれと言われたら絶対に断りますけど(笑)」
患者さんの思いに寄り添える医師になれるように…
ラガーマンとして限界を突破し、ジブンを追い越したスピードスターは2021年に現役を引退。医師を目指し、順天堂大学医学部に進学。新たな一歩を踏み出した。
「今は毎日、経験したことのないことが続くので新鮮ですごく楽しいです。元々、ここが終わりとゴールを決めてしまうとそれ以上頑張れなくなってしまうタイプなので、医師になるために国家試験に合格する。その目標に向けて日々、努力し成長していかなくてはならない今の状況は自分の生き方に合っていると思います。
まだ医師になっていないのであまり大きなことは言えませんが、アスリートとしてこれだけの経験をさせていただいてから医師になるという新たな道を歩むことができているので、アスリートがセカンドキャリアを考えるときに一つの選択肢になるように、この経験を還元できるようにしたいという思いはあります。そのためにも、まずは国家試験に合格すること。ケガや病気を治すだけでなく、患者さんの思いに寄り添える医師になれるように、これからも頑張っていきます」
大学生から日本代表へ。さらには、アスリートから医師へ。
福岡堅樹はこれからもジブンを追い越していく。
福岡 堅樹Kenki Fukuoka
1992年、福岡県生まれ。元ラグビー日本代表のフルバック・ウイング。筑波大学在学中に日本代表に選出される。2015年イングランド大会、2019年日本大会の2度のW杯に出場。日本大会では3試合連続の計4トライを挙げ、日本代表をベスト8に導く。2020-21シーズンを最後に現役を引退し、順天堂大学医学部に進学。現在は医師を目指し勉強を続けながら、ラグビー解説者としても活躍する。
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