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高校で全国3連覇→大学でスランプに…「勝つことへの“怖さ”があったんです」ハードル女王・福部真子(29歳)はなぜ“消えた天才”にならなかった?
posted2024/12/15 11:01
text by
加藤秀彬(朝日新聞)Hideaki Kato
photograph by
(L)JIJI PRESS、(R)Hideaki Kato
現在、過去最高レベルの活況を呈している陸上女子ハードル種目。かつては夢の数字だった12秒台を7人もの選手がマークするなど、停滞気味の日本女子短距離種目の中で気を吐いている。その第一人者が日本記録保持者である福部真子(日本建設工業)だ。若くして将来を期待された“天才ハードラー”の紆余曲折とは?《全3回の2回目/つづきを読む》
「12秒50を切ってパリ五輪の決勝に進出する」
女子100mハードルの福部真子(29歳)は引退を考えていた4年前、競技を続けるにあたり自分にミッションを課した。当時の自己記録は13秒13。世界選手権や五輪に出たこともなければ、日本選手権で表彰台に立ったこともなかった。高い目標設定で自分を奮い立たせる原点は、「天才」と呼ばれてきた競技人生にあった。
中1で全国制覇→インターハイ3連覇の「陸上エリート」
福部が歩んできた道は、まさに「エリート街道」だ。
ハードル競技は、広島・府中中学で始めた。1年生からいきなり、ジュニアオリンピックで優勝。3年時には、全国中学校体育大会の4種競技で全国制覇した。広島皆実高では、1年生から100mハードルでインターハイ優勝。そこから3連覇の偉業を成し遂げた。
「中1で優勝したから、じゃあ次は連覇を狙おう。それができなかったから、高校のインターハイでまた連覇に挑戦しよう、みたいな感じで。どんどん目標が設定されていきました」
だが、この「3連覇」の快挙が、その後の福部を苦しめることになる。
「あれは呪いのような、呪縛のような。忘れたくても忘れさせてもらえませんでした」
日体大に進学後、福部の肩書はいつも「インターハイ3連覇」になった。
大学でも当然活躍するだろう。周囲にはそう期待を持たれた。だが、そう簡単にはいかない。インカレで表彰台に立つことはできても、高校時代のような「日本一」のタイトルには届かなかった。