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定員割れの県立高「定員120人で志願者68人、倍率は0.57倍」甲子園出場校も消えていく…高校野球の厳しい現実「校名が消える前に実現した69年ぶり“最後の試合”」

posted2024/12/13 18:26

 
定員割れの県立高「定員120人で志願者68人、倍率は0.57倍」甲子園出場校も消えていく…高校野球の厳しい現実「校名が消える前に実現した69年ぶり“最後の試合”」<Number Web>

11月3日親善試合、伊那北vs新庄北。甲子園に2度出場している「新庄北」だが、2年後に名前が消える

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沼澤典史

沼澤典史Norifumi Numazawa

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 11月3日、木曽山脈のふもとの長野県伊那ニッパツスタジアムで、とある親善試合が行われた。地元の公立校、伊那北高校野球部が招待したのは、山形県立新庄北高校野球部。新庄北は、遠路はるばる信州の地へやってきたわけだが、この試合の背景には69年の時を超えたロマンと、両校が対峙する時代の変化がある。

 じつはこの両校、1955(昭和30)年の第37回全国高等学校野球選手権大会1回戦で対戦した過去があるのだ。このとき、両校ともに甲子園初出場。当時は都道府県ごとの代表ではなく、地方ごとの代表だったため伊那北は信越代表、新庄北は東北代表として甲子園に出場した。試合は、延長11回の末、伊那北が1対0で勝利している。

69年前の“2年生エース”が投げた

 この両校が甲子園ではないにせよ、再度試合を行ったのには深いワケがある。

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 現在、伊那北は創立104年、新庄北は124年を迎える伝統校だ。伊那北は1955年以降も夏の甲子園に2回、新庄北も1回出場している。当初、伊那北創立100周年記念として2020年春に対戦が予定されていたが、コロナ禍の影響で中止に。コロナが落ち着いたため伊那北野球部創部100周年と銘打ち、改めて開催されたのが今回の親善試合なのだ。

「OBとして、開催されて嬉しいです。当時はドロップとシュート、それとストレートを軸に投げていました。あの頃は球数なんて考えてないですから、無我夢中で投げていましたよ」

 こう語るのは、伊那北野球部後援会長の大槻丞司氏だ。86歳を迎えた大槻氏こそ、甲子園初出場時の伊那北の2年生エースである。この日、始球式に登板した大槻氏は、ホームベース付近でワンバウンドしつつも見事に空振りを奪い、色褪せぬエースの貫禄を後輩たちに示したのだった。

「私の親父は甲子園の試合を覚えていて…」

 始球式の打席に立ったのは新庄北野球部OB会長の矢口雅彦氏(57歳)。矢口氏は甲子園出場時の世代ではないが、「北高野球部OBとして携われて嬉しい。感慨深いですね」と話す。

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