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「落合博満は巨人軍に裏切られたのか」落合が否定した「巨人退団会見で涙」報道…清原FA騒動、なぜ43歳落合博満は現役引退を選ばなかった?
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph bySankei Shimbun
posted2024/10/30 11:03
1996年11月28日、巨人・落合博満(当時42歳)の退団会見。長嶋茂雄監督と落合が並ぶ姿は、3年前の入団会見を思い出させる
「(長嶋)監督は小さいころからの憧れだった。自分が野球を始めたころ、監督は光り輝いていた。ただ(来季は)どうしても清原との競争になる。(自分が)ベンチに座る機会も多くなるだろうし……。その監督の苦労する顔、私と清原君の問題でこれ以上、悩む顔は見たくない。身を引こうと思ったんです。ただし、清原君にはまだ負ける気はしない。だからよそ(他球団)へいってやらせて頂きます」(週刊ベースボール1996年12月16日号)
落合が怒った“本当の理由”
伏し目がちで沈んだ表情の長嶋監督とは対照的に、チームを去る四番打者はときに笑みすら浮かべて心境を語り、「巨人の落合」として最後の仕事をやり切った。同僚の村田真一は、「寂しい。何でやろ、という感じ。伊豆で一緒にオーバーホールをしたベテラン組は(来年も巨人で、と)エールを送っていたのに……」とオレ流との別れを惜しんだ。ようやく2週間以上にわたる退団騒動にピリオドが打たれたわけだが、あらためて経緯を追うと、妙な違和感がある。なぜ、普段は冷静なオレ流があそこまで感情的になったのか? フロントの不手際に腹が立ったという面はあったにせよ、らしくない。「野球を仕事として考えることが、プロ。プロ野球といえばかっこいいけれど、俺にとっては仕事、職業野球なんだよ。仕事だから野球をする」と常々公言してきた、落合らしくないのだ。
日本人選手で初の年俸1億円を突破、年俸調停もトレードもFA移籍も経験し、契約社会でとことんビジネスに徹したオレ流らしからぬ球団フロントとの泥仕合。それも、すべては「長嶋茂雄のため」と考えたら辻褄が合う。なぜなら、自分が野球を始めた頃のヒーローでもある長嶋監督のもとで四番を打つというのは、落合にとって己の野球人生の集大成でもあったからだ。
「本当のことを言うと、オレは現役最後の何年間かはなにがなんでも長嶋さんのもとでやりたかったんだ。FAを宣言したときも、記者には『巨人よりもいい条件の球団があったら、ビジネスとしてそちらを優先したい』と言ったけど、それは本心ではなかったんだ。とにかく憧れの長嶋さんのチームに入れたんだから、監督を男にするために自分が打つだけでなく、ゲームメーカーでもなんでもやる。自分としてはただのイチプレーヤーとして巨人に行くつもりはない。巨人に貢献したいし、若い連中にも自分のいいものを残したい。本当の意味で骨を埋める覚悟でいる。また、長嶋さんの胸のなかに飛び込んで、現役最後の人生を悔いなく送りたい。信子の父親が亡くなる前に『博満、いつか巨人で働くんだぞ』と言った言葉がまだ耳にこびりついている。オレは長嶋さんが“もう、いい”と言うまでついていくつもりでいる」(わが友 長嶋茂雄/深澤弘/徳間書店)
“最後は巨人軍に裏切られた”
清原が巨人に夢を見たように、落合もまた心の底から長嶋茂雄に憧れていたのだ。だから、OB連中にどれだけ批判されようが、背番号33を胴上げするのが自分の使命だと巨人移籍を選択した。