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<龍角散presents エールの力2024⑤>「プリンセス・メグには抵抗があったけれど…」。栗原恵を日本のエースに成長させた大声援の力。
text by
矢内由美子Yumiko Yanai
photograph byAFLO
posted2024/08/16 11:00
「今思えば生意気でしたよね」
そんな風に微笑む栗原さんだが、ニックネームに関しては別の思いもあった。
「同い年の大山加奈選手の愛称は『パワフル・カナ』という、プレーの特長を表すものでしたが、私のニックネームはプレーとは関係ない。だから、『プリンセス』というのは自分の中で納得いかないし、悔しいなという思いが正直あったんですね。どうにか選手としての特長を磨いていかなければいけないなと強く思いました」
結果として、この時の葛藤は栗原さんを成長させることにつながった。すべてを向上させなければと、焦るような思いであらゆる強化に取り組んだが、そのひとつの例が筋肉トレーニング。栗原さんは「パワーをつけるため、高校時代までやってこなかったウェートトレーニングにも取り組みました。最初は20キロのシャフトだけでヘロヘロでしたが、引退する前には47.5キロまで上げることができるようになりました」と述懐する。
経験を重ね、ロシアでのプレーも挟みながら、Vリーグでは2019年まで現役としてプレーした。数々の大けがとの戦いも乗り越えながらのバレーボール人生。栗原さんの胸の中には今、応援してくれたファンへの感謝の気持ちがある。
「会場に入って『メグ』という声援が飛んでくると、見に来てくれているんだなというのをそこで感じることができます。この会場には、私のプレーを見るのは今日が最後という人がいるかもしれない。そう思うと、応援のひと声だけで、今できる最大限のパフォーマンスをして、その人たちの目に焼き付けたいという思いが強くなるんです」
「メグ」という声援を受け止める栗原さんの想いも、バレーボールを続けてきた長い時間で少しずつ変化していたのだった。
短い母との会話でも、その声から大きな力を。
身近な人の声も栗原さんを支えてきた。元バレーボール選手の両親の間に広島県能美町(現江田島市)で生まれた栗原さんは、中学2年生の時に本格的にバレーボールに打ち込むため、親元を離れて強豪校である兵庫県姫路市の中学校に転校した。
学校の方針は厳しく、携帯電話もない時代。電話を使うことが許されるごくわずかな時間に母の声を聴けるのが癒やしだった。
「短い時間であっても、母の『もしもし』という声だけで涙が出ることがありました。母も、私の声のトーンだけで感情を汲み取ってくれて……。母親との会話は短くても、その声だけで心の支えとなり、大きな力をもらっていました」
栗原さんは現在、バレーボール解説者として活躍中だ。
「今は日本代表のOGとしてというよりは一ファンとして日本が強くなっている姿を嬉しい気持ちで見ています。解説しながらも自然と『ナイス!』と声が出るときがありますし、家でもテレビの前で大騒ぎしながら応援しているんですよ。時には飼っている猫が私の声にビックリするくらい(笑)。声が出ると気持ちが一気に試合に入っていくので、自分自身も楽しく観戦できますね」
声を出して盛り上がっている栗原さんの姿が目に浮かんできた。
栗原 恵Megumi Kurihara
1984年7月31日生、広島県出身。大津中、三田尻女子高(現・誠英高)を経て、NECに入団。全日本代表として2003年W杯で活躍し、大山加奈とともに「メグ・カナ」ブームを起こす。2008年北京五輪ではエースとして活躍し、5位入賞に貢献。足の故障に悩まされながらも全日本、国内リーグのパイオニアでプレーを続け、2011年にはロシアリーグでもプレーした。岡山シーガルズ、日立リヴァーレを経て、2018年JTマーヴェラスに移籍。翌2019年現役引退を発表。現在はスポーツキャスターとして活動している。