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「悔しいけど…俺は“ウサギと亀”の亀だった」香川真司(35歳)が明かす17歳のルーキー秘話「俺は陰の方で、なるべく目立たないように」
text by

ミムラユウスケYusuke Mimura
photograph byAsami Enomoto
posted2024/07/20 17:00

2023年に12年半ぶりにJリーグ・セレッソ大阪に復帰した香川真司(35歳)
「10年以上通っている“長老”もたくさんいるんです。中には30年通っている人もいてね。そういう方たちとも上手くコミュニケーションを取らないと(笑)」
かつて、香川には3人目の祖父ともいえる人生の先輩がいた。故・秀島弘さんである。老舗旅館の総料理長を経て、晩年にセレッソ大阪の料理人兼寮長を務めた人物だ。17歳でプロになり、入寮した香川は、彼の言葉に耳を傾けた。
「サッカーに集中しろ! サッカーに集中するんや!」
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サッカー一筋の学生時代を経て、プロになれば同世代の若者よりも多くのお金を手にできる。遊びたいと思えば、遊ぶこともできる。寮で夕食をとらない選手もいたという。
「ウサギと亀」のたとえ話
一方の香川は、寮で夕食をとることが多かった。寮の食堂ではCS放送で海外サッカーを見ることができたからだ。当時はスマートフォンもなく、海外サッカーを手軽に見られる時代ではなかった。だから、食堂は香川のリビングルームのようになり、秀島さんと話す時間も長くなった。
「ワシはサッカーのことはわからん。でも、ワシもお前らも同じ技術者なんや。技術者に大切なことならわかる」
実直に向き合ってくれる秀島さんを香川が慕ったように、秀島さんもまた香川をかわいがった。その後、香川がC大阪を巣立ってから、秀島さんは若い選手たちに『ウサギと亀』のたとえ話をするようになった。
亀のように一歩、一歩、山を登っていたから真司は大成した――。
香川はウサギではない。キャリアを通じて一歩、一歩、自分自身と向き合いながら、着実に歩みを進めてきた。
香川にとってはじめての大きな決断は、高校2年の終わりに、仙台にあるFCみやぎバルセロナから、C大阪でプロになると決めたことだ。
Jクラブの育成組織に所属せず、一般の高校生だった香川のもとには、FC東京からも熱烈なラブコールが届いた。16歳の少年の心は激しく揺れたが、C大阪で戦うことを決断した。
「2個上にはFCみやぎの先輩の丹野(研太)君がいたし、大阪なら神戸の実家にいる家族も来やすい。小菊(昭雄)さん(現C大阪監督)を筆頭に自分のことを追いかけてくれたことが大きかったです」
「俺は陰の方で、なるべく目立たないよう…」
その決断は間違っていなかった。当時のC大阪にはプロサッカー選手としてのキャリアを、「亀」として登っていける環境がそろっていたからだ。